2012.03.31 Saturday
釜石、中心街3
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
こんにちは。
週末です。
いかがおすごしでしょうか。
日本中大変な天気になってきていますね。
低気圧の勢力がよわくなってくるといいですね。
私のほうはまだなんだか、カゼの症状がぬけきらない状態です。
今日も釜石の中心街の写真を多数のせていきたいと思います。
前回書きましたが、釜石の中心街は現在、建物の修繕か取壊しが精力的に行われています。
大船渡比較しても遅れているような印象があります。
地下に埋まっている危険なものがあるというものを見つけたのは私ははじめてでした。
現在も三陸地方は中から小規模の地震があり、
震度3以上のものについては津波の動向をテレビでうかがう日々が続いています。
東日本大震災で、日本全国の防災意識が高まったことは、間違いありません。
震災前の決断が人々の命をすくったというケースも、震災後よくよく調べてみるとあります。
新しく建築も始まっています。
これから、新しく街の再建がはじまっていくような雰囲気です。
釜石市役所です。
ここからの震災当時の映像もよく見ました。
歩いてみるとここからこの角度でと見入ってしまいます。
建物は一階部分が被災してなおっているものと、まだ修繕していないものが混在しています。
メインストリートを港方面に歩き、
釜石の港に近づいてきました。
今まで、商店街を歩いてきたのですが、釜石といえば、学制の時は、モスバーガー。
そのモスバーガーは、すでにありませんでした。
被災して取り壊されたのでしょう。
この辺りまでくると、写真のように近くに高台があります。
ここはまさに被災した木造建築物を解体している最中です。
国道45号線の高架橋の下あたりの風景です。
メインストリートから離れて市役所側の方面に向います。
よくよくみると、釜石は古い建物が多くあります。
畳の山です。
震災から一年というのに、まだこのような片付けがすすめられていることにすこし驚きました。
養老の瀧がある道にでました。
奥に仮設商店街、「青葉公園商店街」です。
中に入ってみます。
プハブながら、他でみるものと異なって、装飾がなされています。
こちらは飲食店街というよりは、小売店などの集合商店街になっています。
震災後、ボランティアの方々が熱心にやっていただいた事の一つに、
下水道の清掃がありました。
被災地の下水道の整備は、衛生管理上とっても大事な事です。
この側溝の蓋もなにかの石材を加工して蓋がつくってあります。
これもきっと、どなたかのお仕事だったのだと思います。
火災のあとがのこった建物もまだ残っています。
震災の爪痕という事で、いろいろ後世にのこしていく被災したものが選ばれていくのだと思いますが、今後、どのような形になっていくのでしょうか。
記念館というものも大槌や陸前高田にはできてくるのでしょうか。
醸造の現代版の倉でしょうか。
甲子川の河口に戻りました。。
橋上市場あとの場所です。
川の水はとても澄んでいて美しいです。
近くにモニュメントがありました。
鮭の遡上をイメージしたものでしょうか。
去年の大船渡周辺の鮭の水揚げだかは、すくなかったようです。
さて、釜石中心街をあとにして、再び釜石駅やマイヤの方面へ向います。
つづく。
こんにちは。
週末です。
いかがおすごしでしょうか。
日本中大変な天気になってきていますね。
低気圧の勢力がよわくなってくるといいですね。
私のほうはまだなんだか、カゼの症状がぬけきらない状態です。
今日も釜石の中心街の写真を多数のせていきたいと思います。
前回書きましたが、釜石の中心街は現在、建物の修繕か取壊しが精力的に行われています。
大船渡比較しても遅れているような印象があります。
地下に埋まっている危険なものがあるというものを見つけたのは私ははじめてでした。
現在も三陸地方は中から小規模の地震があり、
震度3以上のものについては津波の動向をテレビでうかがう日々が続いています。
東日本大震災で、日本全国の防災意識が高まったことは、間違いありません。
震災前の決断が人々の命をすくったというケースも、震災後よくよく調べてみるとあります。
新しく建築も始まっています。
これから、新しく街の再建がはじまっていくような雰囲気です。
釜石市役所です。
ここからの震災当時の映像もよく見ました。
歩いてみるとここからこの角度でと見入ってしまいます。
建物は一階部分が被災してなおっているものと、まだ修繕していないものが混在しています。
メインストリートを港方面に歩き、
釜石の港に近づいてきました。
今まで、商店街を歩いてきたのですが、釜石といえば、学制の時は、モスバーガー。
そのモスバーガーは、すでにありませんでした。
被災して取り壊されたのでしょう。
この辺りまでくると、写真のように近くに高台があります。
ここはまさに被災した木造建築物を解体している最中です。
国道45号線の高架橋の下あたりの風景です。
メインストリートから離れて市役所側の方面に向います。
よくよくみると、釜石は古い建物が多くあります。
畳の山です。
震災から一年というのに、まだこのような片付けがすすめられていることにすこし驚きました。
養老の瀧がある道にでました。
奥に仮設商店街、「青葉公園商店街」です。
中に入ってみます。
プハブながら、他でみるものと異なって、装飾がなされています。
こちらは飲食店街というよりは、小売店などの集合商店街になっています。
震災後、ボランティアの方々が熱心にやっていただいた事の一つに、
下水道の清掃がありました。
被災地の下水道の整備は、衛生管理上とっても大事な事です。
この側溝の蓋もなにかの石材を加工して蓋がつくってあります。
これもきっと、どなたかのお仕事だったのだと思います。
火災のあとがのこった建物もまだ残っています。
震災の爪痕という事で、いろいろ後世にのこしていく被災したものが選ばれていくのだと思いますが、今後、どのような形になっていくのでしょうか。
記念館というものも大槌や陸前高田にはできてくるのでしょうか。
醸造の現代版の倉でしょうか。
甲子川の河口に戻りました。。
橋上市場あとの場所です。
川の水はとても澄んでいて美しいです。
近くにモニュメントがありました。
鮭の遡上をイメージしたものでしょうか。
去年の大船渡周辺の鮭の水揚げだかは、すくなかったようです。
さて、釜石中心街をあとにして、再び釜石駅やマイヤの方面へ向います。
つづく。
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2012.03.30 Friday
釜石中心街2
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
こんにちは。
今日は、春一番ですかね。
日本海側に強い低気圧がいるのか、これから暖かくなってくるそうです。
三陸からはなれて一週間弱。
地域の方はどのようのすごされているのでしょうか。
神奈川県に来てわかったことの一つは、震災関係のニュースはだんだんと小さくなってきていることです。しかも、今朝などは、消費税を巡る政治家の駆け引きがあり、予定されていた番組の内容が変更されたのかなと思えるほどです。
その消費税についてですが、
一時期、震災復興のための財源確保というお題で、消費税を上げる議論がされていました。
たしかに、今回の震災で失った経済的な負の効果は計り知れなかったことだと思います。
しかし、いずれ、被災地は復興しますし、恒久的な税を当てる意味もないように思えます。
震災関連の宝くじも相当売れたそうです。無駄のないよう有効にその資金が素養されることをせつに願います。
さてさて、今日の写真は、前回と引き続き、釜石市中心街です。
釜石の街は、現在、古いものが取り壊されて、新しいものができそうな勢いで、
整備がなされています。
市内の病院です。
港近くになると、地盤沈下のため、このような看板があります。
地盤沈下についても、ひとまず、大事な道路、堤防を築くことによって、
街の機能を回復させようという試みが大船渡や釜石でなされています。
緑色のシートをかぶった建物は、修繕が行われているものです。
このような光景を釜石市内の街でよくみかけます。
震災から一年がたち、漸く街の再建が加速しはじめているように思えます。
ホテルサンルートです。
営業されています。
釜石の写真、まだつづきます。
こんにちは。
今日は、春一番ですかね。
日本海側に強い低気圧がいるのか、これから暖かくなってくるそうです。
三陸からはなれて一週間弱。
地域の方はどのようのすごされているのでしょうか。
神奈川県に来てわかったことの一つは、震災関係のニュースはだんだんと小さくなってきていることです。しかも、今朝などは、消費税を巡る政治家の駆け引きがあり、予定されていた番組の内容が変更されたのかなと思えるほどです。
その消費税についてですが、
一時期、震災復興のための財源確保というお題で、消費税を上げる議論がされていました。
たしかに、今回の震災で失った経済的な負の効果は計り知れなかったことだと思います。
しかし、いずれ、被災地は復興しますし、恒久的な税を当てる意味もないように思えます。
震災関連の宝くじも相当売れたそうです。無駄のないよう有効にその資金が素養されることをせつに願います。
さてさて、今日の写真は、前回と引き続き、釜石市中心街です。
釜石の街は、現在、古いものが取り壊されて、新しいものができそうな勢いで、
整備がなされています。
市内の病院です。
港近くになると、地盤沈下のため、このような看板があります。
地盤沈下についても、ひとまず、大事な道路、堤防を築くことによって、
街の機能を回復させようという試みが大船渡や釜石でなされています。
緑色のシートをかぶった建物は、修繕が行われているものです。
このような光景を釜石市内の街でよくみかけます。
震災から一年がたち、漸く街の再建が加速しはじめているように思えます。
ホテルサンルートです。
営業されています。
釜石の写真、まだつづきます。
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2012.03.30 Friday
釜石、中心街1
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こんばんは。
いかがおすごしでしょうか。
私は、神奈川県川崎市です。
すこしゆっくりできるかなと思いきや、一昨日から体調がすぐれず、
背中がいたかったり、体がだるかったりして、なんだろう?と思っていたんですが、
今日になってのどが痛みだし、熱っぽくなってきました。
どこで拾ってきたのかわかりませんが、カゼです。
薬を飲んで寝ています。
明日は、天気予報では、かなり暖かくなる様子のようですね。
さて写真ですが、釜石の中心街の続きです。
甲子川の河口です。
名物だった橋上市場はサンフィッシュ釜石に移転しているので、新しくなった橋の上にはなにもありません。
こんばんは。
いかがおすごしでしょうか。
私は、神奈川県川崎市です。
すこしゆっくりできるかなと思いきや、一昨日から体調がすぐれず、
背中がいたかったり、体がだるかったりして、なんだろう?と思っていたんですが、
今日になってのどが痛みだし、熱っぽくなってきました。
どこで拾ってきたのかわかりませんが、カゼです。
薬を飲んで寝ています。
明日は、天気予報では、かなり暖かくなる様子のようですね。
さて写真ですが、釜石の中心街の続きです。
甲子川の河口です。
名物だった橋上市場はサンフィッシュ釜石に移転しているので、新しくなった橋の上にはなにもありません。
「おおわたりばし」とあります。
釜石の商店街のほうへむけて歩いていきます。
甲子川の河口の様子です。
白鳥がいました。
まわりにいるカモはキンクロハジロです。
新しくなった橋です。
この先が釜石商店街になります。
商店街の風景の写真を載せていきます。
きれいに修繕された建物とまだ被災したままの建物、それから取り壊されて更地になっている区画と3種類くらいにわけることができます。
震災から1年たった今でも、まだまだ、重機が動いています。
主に、破損した建物を取り壊しています。
釜石商店街のメインストリートでもこのような状況です。
震災時のDVDをみると、津波が一階の天井まで押しよせ、この右にある道は海水とともに、
瓦礫が押し寄せてくる映像がありました。
街をあるいていたら、このようなステッカーがはってありました。
津波とそれに負けないビルや会社をイメージしたものでしょうか。
釜石の中心街は、まだまだ津波で傷んだ建物が取り壊されていまます。
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2012.03.27 Tuesday
サンフィッシュ釜石
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おはようございます。
今日は、釜石の写真の続きです。
釜石駅前付近です。
釜石橋上市場「サンフィッシュ釜石」です。
釜石の橋上市場は数年前に本当の橋の上からこちらにうつりました。
中に入ってみます。
まずは、まんぷく食堂。
これは中村屋さんの姉妹店。
この日は日曜日だったので、たいへんな混み具合でした。
1時間まっても入れるかどうかと思えるほどの行列でした。
まんぷく食堂のうにおにぎりです。
以前、私もいただいたことがあります。
ウニご飯です。
ウニの量が多いので、ご飯ウニといってもいい一品です。
食堂があるのが2階です。
一階には魚介類を販売している商店が建ち並んでいます。
上の写真はサクラマス。
春を告げる三陸の魚です。
そして、冬の三陸の王様といってもいいナメタガレイです。
卵がはいっている煮魚は最高です。
サンフィッシュ釜石をでます。
駅の方面へむけて歩いてみます。
釜石は岩手県の沿岸をはしる三陸鉄道の他に、内陸の花巻を結ぶ釜石線があります。
この釜石線からみられる風景も素敵です。
釜石市街のほうへ歩いていきます。
旧橋上市場の方向へ向います。
甲子川のあります。
おはようございます。
今日は、釜石の写真の続きです。
釜石駅前付近です。
釜石橋上市場「サンフィッシュ釜石」です。
釜石の橋上市場は数年前に本当の橋の上からこちらにうつりました。
中に入ってみます。
まずは、まんぷく食堂。
これは中村屋さんの姉妹店。
この日は日曜日だったので、たいへんな混み具合でした。
1時間まっても入れるかどうかと思えるほどの行列でした。
まんぷく食堂のうにおにぎりです。
以前、私もいただいたことがあります。
ウニご飯です。
ウニの量が多いので、ご飯ウニといってもいい一品です。
食堂があるのが2階です。
一階には魚介類を販売している商店が建ち並んでいます。
上の写真はサクラマス。
春を告げる三陸の魚です。
そして、冬の三陸の王様といってもいいナメタガレイです。
卵がはいっている煮魚は最高です。
サンフィッシュ釜石をでます。
駅の方面へむけて歩いてみます。
釜石は岩手県の沿岸をはしる三陸鉄道の他に、内陸の花巻を結ぶ釜石線があります。
この釜石線からみられる風景も素敵です。
釜石市街のほうへ歩いていきます。
旧橋上市場の方向へ向います。
甲子川のあります。
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2012.03.26 Monday
瓦礫のない海、不思議な光景に思えてしまいます
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
こんにちは。
三陸地方をはなれて、現在、実家のある愛知県に来ています。
途中、静岡の海辺を走ってきたのですが、なんだか瓦礫や被災の風景のない海が不思議な光景にみえてしまいます。
さて、三陸地方は離れてしまいましたが、
まだ、ブログの更新は続けさせていただきます。
今日からの写真は、釜石です。
三陸町越喜来から吉浜、釜石方面へ国道45号線へ向います。
釜石市平田地区の釜石大観音です。
海にむけ観音様がむいています。
続いて、釜石の免許センターと警察署。
川の河口にあるので被災しています。
現在は使用されていません。
国道45号線からはなれて釜石駅方面へ向います。
釜石は大船渡と比べると、どことなく被災した建物がまだそのまま残っている様子がみられる地域もあります。
奥には新日鉄釜石の製鉄所の煙突でしょうか。
もくもくと煙がでています。
釜石駅方面です。
釜石の名店、三陸の幸をふんだんに使用した海鮮料理をだす「中村屋」です。
ウニのモニュメントもあります。
三陸海宝漬は釜石を代表する逸品です。
新日鉄のうす緑色の建物があります。
釜石の駅周辺は土地が低く川の河口付近に位置しているので、津波浸水想定区域に指定されています。
駅近くにさしかかりました。
釜石中心街の散策はつづきます。
こんにちは。
三陸地方をはなれて、現在、実家のある愛知県に来ています。
途中、静岡の海辺を走ってきたのですが、なんだか瓦礫や被災の風景のない海が不思議な光景にみえてしまいます。
さて、三陸地方は離れてしまいましたが、
まだ、ブログの更新は続けさせていただきます。
今日からの写真は、釜石です。
三陸町越喜来から吉浜、釜石方面へ国道45号線へ向います。
釜石市平田地区の釜石大観音です。
海にむけ観音様がむいています。
続いて、釜石の免許センターと警察署。
川の河口にあるので被災しています。
現在は使用されていません。
国道45号線からはなれて釜石駅方面へ向います。
釜石は大船渡と比べると、どことなく被災した建物がまだそのまま残っている様子がみられる地域もあります。
奥には新日鉄釜石の製鉄所の煙突でしょうか。
もくもくと煙がでています。
釜石駅方面です。
釜石の名店、三陸の幸をふんだんに使用した海鮮料理をだす「中村屋」です。
ウニのモニュメントもあります。
三陸海宝漬は釜石を代表する逸品です。
新日鉄のうす緑色の建物があります。
釜石の駅周辺は土地が低く川の河口付近に位置しているので、津波浸水想定区域に指定されています。
駅近くにさしかかりました。
釜石中心街の散策はつづきます。
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2012.03.25 Sunday
無事関東に到着です
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おはようございます。
昨日、三陸の地をあとにしました。
三陸町、崎浜から三陸道にのり、陸前高田へ。
高田のアップルロードにはいって、中華の「みつわ」へいきました。
そこで、陸前高田のSさんと合流し、最後の昼食をいただきました。
みつわは、開店した当時は麺類やカツが中心でしたが、昨日はいったら、メニューが増えていました。
酢豚や麻婆豆腐、エビチリ、天津飯、餃子(数量限定)杏仁豆腐など、が新たに加わっていました。値段も600円台中心でお手頃な価格帯です。陸前高田の名店です。
私は、酢豚と天津飯と杏仁豆腐をいただきました。
その後、一関へ。
峠越えで雪があるかなと思いゆっくり行きましたが、
除雪もしっかりされていて普通タイヤでも日中は通れるほどでした。
一関に到着しガスを補給し、東北道へ。
東北道は東北地方の通行料金が3月いっぱいまで無料という事もあって、
一関首都高速までの料金は2000円ちょっとでした。
そして、そのまま、用賀でおりて、我が家の川崎市高津区溝ノ口までもどってきました。
岩手のお土産の数々。
さいとう製菓の「カモメのたまご」(ミニとゴールド)
気仙酒造の「雪っこ」
壷屋の「くるみゆべし」
藤勇醸造の醤油
八木澤商店の味噌
南部鉄器のシチュー鍋
などなど、いただきものなども含めたくさんです。
さて、次回はまだとりためていた写真を使って被災地の情報をお届けします。
次回の釜石市内のものを予定しています。
おはようございます。
昨日、三陸の地をあとにしました。
三陸町、崎浜から三陸道にのり、陸前高田へ。
高田のアップルロードにはいって、中華の「みつわ」へいきました。
そこで、陸前高田のSさんと合流し、最後の昼食をいただきました。
みつわは、開店した当時は麺類やカツが中心でしたが、昨日はいったら、メニューが増えていました。
酢豚や麻婆豆腐、エビチリ、天津飯、餃子(数量限定)杏仁豆腐など、が新たに加わっていました。値段も600円台中心でお手頃な価格帯です。陸前高田の名店です。
私は、酢豚と天津飯と杏仁豆腐をいただきました。
その後、一関へ。
峠越えで雪があるかなと思いゆっくり行きましたが、
除雪もしっかりされていて普通タイヤでも日中は通れるほどでした。
一関に到着しガスを補給し、東北道へ。
東北道は東北地方の通行料金が3月いっぱいまで無料という事もあって、
一関首都高速までの料金は2000円ちょっとでした。
そして、そのまま、用賀でおりて、我が家の川崎市高津区溝ノ口までもどってきました。
岩手のお土産の数々。
さいとう製菓の「カモメのたまご」(ミニとゴールド)
気仙酒造の「雪っこ」
壷屋の「くるみゆべし」
藤勇醸造の醤油
八木澤商店の味噌
南部鉄器のシチュー鍋
などなど、いただきものなども含めたくさんです。
さて、次回はまだとりためていた写真を使って被災地の情報をお届けします。
次回の釜石市内のものを予定しています。
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2012.03.24 Saturday
さらば、三陸。
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おはよぷございます。
昨夜からふっていた雪がまたまたつもりました。
今日は、三陸をさる日。
ノーマルタイヤをはかせてかえるつもりでしたが、
残念ながら、スタッドレスタイヤにかえてかえるようです。
思えば、一年前の震災から被災地に赴き、できる事をやろうと決めてやってきましたが、
はたして何ができただろうかと反芻してしまうこともあります。
さてさて、今日は引っ越し&移動の日なので、大忙しです。
とりためていた写真があったり、これから大船渡でサポートしていただける方がでてきて、
ブログはまだ続きます。
本日のところはこのあたりで。
ではでは。
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2012.03.23 Friday
北里大学海洋生命学部
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こんにちは。
明日、三陸をたつわけですが、
最後に母校は見ておかないとと思い、載せておきます。
大船渡市三陸町崎浜にある校舎です。
大学は、相模原へ撤退することがきまっているそうです。
相模原にはすでに大きな校舎の建設が始まっているそうです。
ただ、くわしくはわかりませんが、今まで蓄えてきたデータや学術的な標本などを考えると、この校舎は大学の出先機関になるのではないかと思います。
大学生や大学院生でもこちらに赴いて卒論を書く人がゆくゆくはでてくるのではないかと思っています。
古い校舎の3つのビルは震災の損傷も大きく取壊しとなるそうです。
この白と茶色の建物が私が三陸キャンパスにやってきたときにありました。
3年生になると、新しいマリンホールができて、学食や講堂が充実しました。
上の写真の駐車場は、私が学生のときは、水槽が並んで研究に使われていました。
失礼して中に入ってみると、私が学生のときになかった水槽の施設や散策路などがありました。学生のときにあれば、きっと散策の道はいってたろうなと思ってしまいました。
大学近くの看板です。
大学のOBOGの方には懐かしい標識ではないでしょうか。
震災で大学生のいないキャンパスになってしまいましたが、
今後の活用を期待せざるをえません。
こんにちは。
明日、三陸をたつわけですが、
最後に母校は見ておかないとと思い、載せておきます。
大船渡市三陸町崎浜にある校舎です。
大学は、相模原へ撤退することがきまっているそうです。
相模原にはすでに大きな校舎の建設が始まっているそうです。
ただ、くわしくはわかりませんが、今まで蓄えてきたデータや学術的な標本などを考えると、この校舎は大学の出先機関になるのではないかと思います。
大学生や大学院生でもこちらに赴いて卒論を書く人がゆくゆくはでてくるのではないかと思っています。
古い校舎の3つのビルは震災の損傷も大きく取壊しとなるそうです。
この白と茶色の建物が私が三陸キャンパスにやってきたときにありました。
3年生になると、新しいマリンホールができて、学食や講堂が充実しました。
上の写真の駐車場は、私が学生のときは、水槽が並んで研究に使われていました。
失礼して中に入ってみると、私が学生のときになかった水槽の施設や散策路などがありました。学生のときにあれば、きっと散策の道はいってたろうなと思ってしまいました。
大学近くの看板です。
大学のOBOGの方には懐かしい標識ではないでしょうか。
震災で大学生のいないキャンパスになってしまいましたが、
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2012.03.22 Thursday
三陸から旅たちの準備
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こんばんは。
私ごとですが、だんだん、三陸地方を離れるときが近づいてきました。
崎浜のアパートを解約し、転出届けをだし、荷物の整理をし、
車のタイヤを夏タイヤに履きかえ、旅立つ準備をしています。
明後日の朝には三陸から神奈川へ引き上げます。
思えば、昔大学のときに一度、崎浜を旅立ちました。
それから、月日が経ち、震災後再びこちらにお世話になり、
一年の活動ときめてやってきました。
震災後、一年の活動でなにができたかと、今振り返って考えてみると、
本当になにができたんだろうかと考え込んでしまいます。
いろいろないい思いをさせていただきました。
震災後だからというものもたくさんあります。
だんだんとブログの終わりのような言葉になってしまいましたが、
まだとりためている写真もあるので、記事は続いていくと思います。
ひとまず、なんだか荷物をまとめてみて、感慨深げになった夜でした。
こんばんは。
私ごとですが、だんだん、三陸地方を離れるときが近づいてきました。
崎浜のアパートを解約し、転出届けをだし、荷物の整理をし、
車のタイヤを夏タイヤに履きかえ、旅立つ準備をしています。
明後日の朝には三陸から神奈川へ引き上げます。
思えば、昔大学のときに一度、崎浜を旅立ちました。
それから、月日が経ち、震災後再びこちらにお世話になり、
一年の活動ときめてやってきました。
震災後、一年の活動でなにができたかと、今振り返って考えてみると、
本当になにができたんだろうかと考え込んでしまいます。
いろいろないい思いをさせていただきました。
震災後だからというものもたくさんあります。
だんだんとブログの終わりのような言葉になってしまいましたが、
まだとりためている写真もあるので、記事は続いていくと思います。
ひとまず、なんだか荷物をまとめてみて、感慨深げになった夜でした。
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2012.03.22 Thursday
三陸町越喜来
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おはようございます。
春の選抜野球も昨日始まりましたね。
震災関連の特別な配慮がありました。
健闘を祈ります。
さて、今日の写真は、三陸町、越喜来の浦浜地区です。
近頃の浦浜地区の風景を載せていきます。
おはようございます。
春の選抜野球も昨日始まりましたね。
震災関連の特別な配慮がありました。
健闘を祈ります。
さて、今日の写真は、三陸町、越喜来の浦浜地区です。
近頃の浦浜地区の風景を載せていきます。
去年の暖かかった時期は三陸町の越喜来の浦浜地区にもボランティアの方が活動されている様子が見られましたが、近頃は被災地自体でなにかの活動というものはあまりみられません。
仮設住宅のほうへの支援が割合的に増えてきているのでしょうか。
写真は12月あたりにとったものです。
瓦礫は近頃はかなり減ってきています。
浦浜川沿い、河口付近の写真を載せていきます。
奥に見えるのが越喜来小学校の体育館です。
様々なものが分別されて置かれていますが、近頃はこのようなものもなくなりつつあり、
何もなくなってしまっています。
この瓦礫撤去してからの土地の活用については、未だきまっていないことが多く、
地域でも活用の計画が議論されていると思います。
今月3月14日の夕方の地震に伴う津波注意報がありました。
なにか、大きな地震でもう一度、中から小サイズの津波がきたら、
もっと政府も動くんだろうなと注意報が発令ている最中、高台に身を寄せながら思っていました。
上の写真は、旧三陸町役場を取り壊している時のものです。
被災した建物はなくなり、低い土地はなにもない状態。
浦浜地区は仮設の商店街も高台にできて、少しずつ前に進んでいます。
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