2011.12.30 Friday
釜石鵜住居地区から両石町、大槌町へ
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
年末、お忙しいでしょうか。
こちらはどちらかといえば、旅行等にも行かずに年末のんびりモードです。
震災後、写真ととり続けていますが、一度、三陸町からでて当たりの様子をみにいくと、
できる限り多くの写真をとっていこうと思ってしまいます。
理由は、遠くになればなるほどそう何回もくる事ができなく、
被災地というのは、どんどんかわっていきます。
とれるものはとっておかないと次はないかもしれないという感覚があります。
さて、今日の写真は、昨日の続きの釜石市北部の町、鵜住居地区です。
川と海には砂浜という素敵で自然豊かな地区でした。
河口に栄えていたこのような町という町は今回の震災で大変な被害を被ってしまいました。
整備された川の橋を渡ります。
河口には鮭がきていて鳥たちが集まっています。
烏も多数です。
この頭が膨らんでいるタイプのカラスはハシブトガラスといいます。
澄んだ声で「カーカー」と鳴きます。
烏もよくよくみていると、愛嬌もあり色はともかく光沢のあるきれいな鳥です。
橋の下をみると死んだ鮭を奪い合っているトビとからすがいました。
からすが騒いでいるはずです。
トビやカラスはこのような死肉に群がります。
鵜住居地区の砂浜の西側に広がっている田園地区に入っていきます。
もちろん津波でなにもなくなってしまいました。
黒い大きな土のうが仮設の防潮堤となっていています。
どちらの海岸線も同じような処置がとられています。
荒廃地には瓦礫の山。
みたところ、ごちゃ混ぜになったものです。
このようなものはおそらく焼却処分されていくのだと思います。
ただ、東北地方以外で引き受けてくれる自治体があまりないようで、
この先このような瓦礫の処理については国内の自治体がどれだけ協力するかで、
スピードはかわってくるのだと思います。
進みます。
前方に瓦礫の処分場があります。
その奥には、ゴルフの施設?があったところが写っています。
この電柱は流れてきたものとの接触がなかったようで柱はしっかりたっています。
地域によっては、巨大な船舶や木材が激突して非常な大きな被害を受けた地域もあります。
このあたりはもともと田園地帯だったので大きな浮遊物がなかったのかもしれません。
進みます。
あたりにあったものを写します。
そろそろ国道45号線との合流地点です。
進みます。
上の写真でわかると思いますが、看板の下のほうが曲がってしまっているのは津波の影響です。このまま北をめざし大槌町へ向います。
次回は、両石地区、大槌町へ進みます。
まだまだ、北への見学の旅は続きます。
ためになる情報だと思われた方は下のボタンをお押しください。
押した先には有用な震災関連のブログリストにとびます。おはようございます。
年末、お忙しいでしょうか。
こちらはどちらかといえば、旅行等にも行かずに年末のんびりモードです。
震災後、写真ととり続けていますが、一度、三陸町からでて当たりの様子をみにいくと、
できる限り多くの写真をとっていこうと思ってしまいます。
理由は、遠くになればなるほどそう何回もくる事ができなく、
被災地というのは、どんどんかわっていきます。
とれるものはとっておかないと次はないかもしれないという感覚があります。
さて、今日の写真は、昨日の続きの釜石市北部の町、鵜住居地区です。
川と海には砂浜という素敵で自然豊かな地区でした。
河口に栄えていたこのような町という町は今回の震災で大変な被害を被ってしまいました。
整備された川の橋を渡ります。
河口には鮭がきていて鳥たちが集まっています。
烏も多数です。
この頭が膨らんでいるタイプのカラスはハシブトガラスといいます。
澄んだ声で「カーカー」と鳴きます。
烏もよくよくみていると、愛嬌もあり色はともかく光沢のあるきれいな鳥です。
橋の下をみると死んだ鮭を奪い合っているトビとからすがいました。
からすが騒いでいるはずです。
トビやカラスはこのような死肉に群がります。
鵜住居地区の砂浜の西側に広がっている田園地区に入っていきます。
もちろん津波でなにもなくなってしまいました。
黒い大きな土のうが仮設の防潮堤となっていています。
どちらの海岸線も同じような処置がとられています。
荒廃地には瓦礫の山。
みたところ、ごちゃ混ぜになったものです。
このようなものはおそらく焼却処分されていくのだと思います。
ただ、東北地方以外で引き受けてくれる自治体があまりないようで、
この先このような瓦礫の処理については国内の自治体がどれだけ協力するかで、
スピードはかわってくるのだと思います。
進みます。
前方に瓦礫の処分場があります。
その奥には、ゴルフの施設?があったところが写っています。
この電柱は流れてきたものとの接触がなかったようで柱はしっかりたっています。
地域によっては、巨大な船舶や木材が激突して非常な大きな被害を受けた地域もあります。
このあたりはもともと田園地帯だったので大きな浮遊物がなかったのかもしれません。
進みます。
あたりにあったものを写します。
そろそろ国道45号線との合流地点です。
進みます。
上の写真でわかると思いますが、看板の下のほうが曲がってしまっているのは津波の影響です。このまま北をめざし大槌町へ向います。
次回は、両石地区、大槌町へ進みます。
まだまだ、北への見学の旅は続きます。
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2011.12.29 Thursday
被災後の鵜住居地区の野鳥たち
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
年末です。
いかがおすごしでしょうか。
近頃、テレビを見る時間が増えていてよくみているのですが、
年末という事もあり何かと特別番組が多いですね。
面白く楽しめるものもあるのですが、震災もののまとめをするものもあります。
そんな中で気になるのは、実はこうだったという内容のところ。
個人レベルでの被災地ローカルの話題をテーマ別にまとめられているものもあって
そんな事もあったんだと関心をよせることもあります。
その反対にこれは実際どうなんだろう?今この時期にこんなことを話すことっていいのかなと思ったり、疑問を感じたりすることもあります。
特に????と思うものは、震災当時の政府の総理大臣を筆頭にそうそうたる閣僚などの出演メンバー、それから東電の幹部。震災直後のことやフクシマ原発の対応など、あたかももう終わった過去のものような雰囲気をもってしまいます。
というのは、通常、何か一つ大きな事があった場合、10年とか20年とか、ある一区切りになったときにこのような振り返るまとめがなされるべきなんだと思います。震災などのものについては、厳重に内部で情報を管理し外部にでているよではだめなものだと思います。その情報で人を傷つけてしまう可能性があるものだからです。しかも震災復興はまだ始まったばかり、フクシマの原発については今も放射性物質が東日本全域に広がっている最中です。加えて、総理大臣や官房長官といえど公務員であって生涯秘密を守る義務があるんでしょうが、非常事態の過去を振り返ってあれはこうだったという話をきいてもこれまでの足取りや今が変わる訳でもないし、私が持つ印象としてはなんだか、大会で優勝したスポーツの選手がインタビューを受けているというような印象さえもってしまいます。(番組でだされる情報を盾にして核たるものを守ることもありうるという視点はもってみています。)
10年や20年前にはこんな政府の閣僚などが特別番組でインタビューをうけるということはあったのですかね?なんだか、そこの浅い番組になっているように思えてしかたありません。
さて話は変わります。
釜石市北部の鵜住居町の根浜海岸から鵜住居川河口にもどります。
被災した学校に向っていきます。
被災した学校をみるのは、なんとも、心が痛みます。
大人になってあらためて学校に足を運んだときに、なんだか、長い月日をかけて様々な人のその当時の思いや活動が地層のように積み重なって場所のように感じるときがあります。
そんな人々の思い出の場所が変わり果てた状態になってしまっています。
一度だけ被災した学校の玄関周りだけのぞいてみた事がありました。
床は泥だらけ天井は破れて、まさに廃校でした。
なんといったらいいか言葉もありません。
右側が学校の校庭です。
被災した学校の校庭には瓦礫が集められている事がほとんどですが、
この瓦礫も処理が進んでいます。
分別がなされています。
桜の木でしょうか。まったく死んでしまったようにはみえません。
いつか、復活する日はあるのでしょうか。
学校をあとにします。
鵜住居川河口です。
川の方をのぞいてみます。
上のカモはマガモといいます。
雄は頭が緑色、くちばしが黄色をしています。
たくさん鳥があつまっている場所がありました。
写真の手前にあるのは網です。
鮭がこれ以上遡上しないように張られているものです。
あたりには鮭が泳いでいたり、死骸があります。
それをめあてに鳥たちがあつまってきています。
上の写真はマガモの雌。
マガモは元来、穀物等を食べる草食のカモですが、場合によっては魚もたべてしまうのでしょうか。
奥の黒いのはキンクロハジロの雌。
これは魚を食べる海ガモです。
ホオジロガモです。
英名、ゴールデンアイといいます。
目が金色をしているからです。
こちらはホシハジロ。
魚を食べるウミガモです。
ちょっと離れたところに白鳥もいました。
白鳥は相当大きな鳥類です。
カモの大きさの比ではありません。
集団で動いているのは、オナガガモです。
雄のしっぽ尖っているような羽があります。
だから英名ではピンテールといいます。
魚を食べる水鳥といえば、サギ。
ダイサギです。北から移動してきた個体でしょうか。
被害が大きかった鵜住居地区ですが、冬になって水鳥たちは再び戻ってきています。
鵜住居地区の写真はもう少し続きます。
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おはようございます。
年末です。
いかがおすごしでしょうか。
近頃、テレビを見る時間が増えていてよくみているのですが、
年末という事もあり何かと特別番組が多いですね。
面白く楽しめるものもあるのですが、震災もののまとめをするものもあります。
そんな中で気になるのは、実はこうだったという内容のところ。
個人レベルでの被災地ローカルの話題をテーマ別にまとめられているものもあって
そんな事もあったんだと関心をよせることもあります。
その反対にこれは実際どうなんだろう?今この時期にこんなことを話すことっていいのかなと思ったり、疑問を感じたりすることもあります。
特に????と思うものは、震災当時の政府の総理大臣を筆頭にそうそうたる閣僚などの出演メンバー、それから東電の幹部。震災直後のことやフクシマ原発の対応など、あたかももう終わった過去のものような雰囲気をもってしまいます。
というのは、通常、何か一つ大きな事があった場合、10年とか20年とか、ある一区切りになったときにこのような振り返るまとめがなされるべきなんだと思います。震災などのものについては、厳重に内部で情報を管理し外部にでているよではだめなものだと思います。その情報で人を傷つけてしまう可能性があるものだからです。しかも震災復興はまだ始まったばかり、フクシマの原発については今も放射性物質が東日本全域に広がっている最中です。加えて、総理大臣や官房長官といえど公務員であって生涯秘密を守る義務があるんでしょうが、非常事態の過去を振り返ってあれはこうだったという話をきいてもこれまでの足取りや今が変わる訳でもないし、私が持つ印象としてはなんだか、大会で優勝したスポーツの選手がインタビューを受けているというような印象さえもってしまいます。(番組でだされる情報を盾にして核たるものを守ることもありうるという視点はもってみています。)
10年や20年前にはこんな政府の閣僚などが特別番組でインタビューをうけるということはあったのですかね?なんだか、そこの浅い番組になっているように思えてしかたありません。
さて話は変わります。
釜石市北部の鵜住居町の根浜海岸から鵜住居川河口にもどります。
被災した学校に向っていきます。
被災した学校をみるのは、なんとも、心が痛みます。
大人になってあらためて学校に足を運んだときに、なんだか、長い月日をかけて様々な人のその当時の思いや活動が地層のように積み重なって場所のように感じるときがあります。
そんな人々の思い出の場所が変わり果てた状態になってしまっています。
一度だけ被災した学校の玄関周りだけのぞいてみた事がありました。
床は泥だらけ天井は破れて、まさに廃校でした。
なんといったらいいか言葉もありません。
右側が学校の校庭です。
被災した学校の校庭には瓦礫が集められている事がほとんどですが、
この瓦礫も処理が進んでいます。
分別がなされています。
桜の木でしょうか。まったく死んでしまったようにはみえません。
いつか、復活する日はあるのでしょうか。
学校をあとにします。
鵜住居川河口です。
川の方をのぞいてみます。
上のカモはマガモといいます。
雄は頭が緑色、くちばしが黄色をしています。
たくさん鳥があつまっている場所がありました。
写真の手前にあるのは網です。
鮭がこれ以上遡上しないように張られているものです。
あたりには鮭が泳いでいたり、死骸があります。
それをめあてに鳥たちがあつまってきています。
上の写真はマガモの雌。
マガモは元来、穀物等を食べる草食のカモですが、場合によっては魚もたべてしまうのでしょうか。
奥の黒いのはキンクロハジロの雌。
これは魚を食べる海ガモです。
ホオジロガモです。
英名、ゴールデンアイといいます。
目が金色をしているからです。
こちらはホシハジロ。
魚を食べるウミガモです。
ちょっと離れたところに白鳥もいました。
白鳥は相当大きな鳥類です。
カモの大きさの比ではありません。
集団で動いているのは、オナガガモです。
雄のしっぽ尖っているような羽があります。
だから英名ではピンテールといいます。
魚を食べる水鳥といえば、サギ。
ダイサギです。北から移動してきた個体でしょうか。
被害が大きかった鵜住居地区ですが、冬になって水鳥たちは再び戻ってきています。
鵜住居地区の写真はもう少し続きます。
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2011.12.28 Wednesday
釜石市根浜海岸
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おはようございます。
関東に来ていますが、場所は、神奈川県川崎市です。
南関東は温暖です。
身につける服も2枚くらいきなくてもいいくらいです。
さて、写真ですが前回の続きで、
釜石市北部の鵜住居地区から根浜海岸へ向います。
根浜海岸はきれいな砂浜が広がっているところで、
夏には海水浴客でにぎわうような美しい地域です。
もちろん、今回の震災で被災しています。
が、実際、足を運んだのは初めてです。
進みます。
近頃は、大方の片付けも終わり、応急的な護岸工事はみなれているのですが、
こちらもそのような印象を受けます。
さらに進みます。
この先は確か、きれいな松林があり、砂浜がある根浜海岸です。
根浜海岸にある宝来館です。
何年か前、大槌町で働いていたときに同僚とお風呂に入りにきた思い出の場所です。
こちらは、あきらかに被災したはずですが、大きな被害は見られず、営業もしているのか、これからするのかという印象を受けます。
松林です。
こちらもよくある構造ですが、
砂浜の海岸→松林→防潮堤というようになっており、
今回の震災ではもちろんその防潮堤を越えて町の奥深くまで津波がおそって現在ではなにもなくなってしまっているようです。
先をみると、このような建物が、ありました。
たしか、これは海水浴場のなにかの施設だったような気がします。
このように被災している建物は、今まででは取壊されてきたのをみてきました。
手前の土のうは仮設の防潮堤です。
となりにはこのような建物もありました。
道は駐車場に繋がっていて、広場にでました。
もちろん、先にも行けましたが、ここでユータンをします。
再び、鵜住居川の河口の方向へ向かいます。
鵜住居川の河口へ戻ってきました。
これまでもいろいろな地域を見てきましたが、河口中心に被害が大きいです。
三陸海岸は切り立った山々が海に接しているので、傾斜勾配が激しいところは、津波はおおむねやり過ごした印象があります。
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おはようございます。
関東に来ていますが、場所は、神奈川県川崎市です。
南関東は温暖です。
身につける服も2枚くらいきなくてもいいくらいです。
さて、写真ですが前回の続きで、
釜石市北部の鵜住居地区から根浜海岸へ向います。
根浜海岸はきれいな砂浜が広がっているところで、
夏には海水浴客でにぎわうような美しい地域です。
もちろん、今回の震災で被災しています。
が、実際、足を運んだのは初めてです。
進みます。
近頃は、大方の片付けも終わり、応急的な護岸工事はみなれているのですが、
こちらもそのような印象を受けます。
さらに進みます。
この先は確か、きれいな松林があり、砂浜がある根浜海岸です。
根浜海岸にある宝来館です。
何年か前、大槌町で働いていたときに同僚とお風呂に入りにきた思い出の場所です。
こちらは、あきらかに被災したはずですが、大きな被害は見られず、営業もしているのか、これからするのかという印象を受けます。
松林です。
こちらもよくある構造ですが、
砂浜の海岸→松林→防潮堤というようになっており、
今回の震災ではもちろんその防潮堤を越えて町の奥深くまで津波がおそって現在ではなにもなくなってしまっているようです。
先をみると、このような建物が、ありました。
たしか、これは海水浴場のなにかの施設だったような気がします。
このように被災している建物は、今まででは取壊されてきたのをみてきました。
手前の土のうは仮設の防潮堤です。
となりにはこのような建物もありました。
道は駐車場に繋がっていて、広場にでました。
もちろん、先にも行けましたが、ここでユータンをします。
再び、鵜住居川の河口の方向へ向かいます。
鵜住居川の河口へ戻ってきました。
これまでもいろいろな地域を見てきましたが、河口中心に被害が大きいです。
三陸海岸は切り立った山々が海に接しているので、傾斜勾配が激しいところは、津波はおおむねやり過ごした印象があります。
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2011.12.27 Tuesday
関東にきております
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こんにちは。
私のほうは関東に来ております。
このまま、年末年始はこちらで過ごす予定でいます。
さて、関東の町で過ごしている訳ですが、
被災地から離れてみて、今までのことや三陸町綾里での仕事のことを客観的に振り返る時間が持てていて、たいへん有意義です。
こんにちは。
私のほうは関東に来ております。
このまま、年末年始はこちらで過ごす予定でいます。
さて、関東の町で過ごしている訳ですが、
被災地から離れてみて、今までのことや三陸町綾里での仕事のことを客観的に振り返る時間が持てていて、たいへん有意義です。
また、べつの視点で、
被災地からはなれてみて、町を歩きながら震災のことを考えたりしていると、
いろいろなことを思いつきます。
まずは、関東の人口密度の高さは、被災地とはくらべものにはならないほどだとあらためて感じたりしている訳ですが、震災後のあの食料が一気に売れてしまったスーパー。多くの人が買い求めたカップラーメンは今はどこへいってしまったのだとうか・・・・・とか、
食料品のスーパーをよくよく見てみると、
被災地の東北3県産の食料はほとんど売っていません。
大まかなところでは、北海道産か、西日本のものばかりです。
たまに、被災地周辺のものを見つけるのですが、
値段が3割から5割程度、他の県の山地のものよりも安かったりするのが見られます。
福島県産のものもたまに見かけます。あからさまに安値で販売されていて、
その安さがなにか目に見えないものを語っているようで、なんともいえない気持ちになります。
人によっては、気にしないといって買っていく方もいるのかもしれませんが。
みえないものが多すぎて、なかなか判断が下せないとも言えます。
まだ、食品の原材料を買う場合は、産地の名前がでているのはいいのですが、
混ざってしまっている総菜や真空パックになっているものなどは、それこそ、調べようがなく、放射線のことを気にして産地のわかっているものは控えていたのにも関わらず、
総菜、弁当などで実は摂取しているということも十分にありえることです。
さらに、これはちょっとと思うのは、
生産地が混ざっている札もみかけます。
例えば、茨城県産と愛知県産の野菜とか、宮城県産と静岡県産の野菜などと、
どれがどっちなのかわからないようになってしまっいます。
これも値段は安めになっています。
このようなものの売り方には、どうも私は賛成できなく、
目を潜めてしまいます。
実際はどうなのかはわかりませんが、小売りの方には、産地の明記はこのような時期だからこそ、しっかり説明して販売してほしいと思うところです。
ブログ、2日休んでしまいました・・・・
また明日から、釜石の写真の続きを書いていきたいと思います。
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2011.12.24 Saturday
釜石市北部、鵜住居地区の様子
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おはようございます。
昨晩、雪がちらつく中、夜行バス、気仙ライナーに乗って、関東にやってきています。
三陸町のローソン前で乗車したのですが、老若男女、いろいろな方がのっていて満席で、
2台での運行だったようです。
年末年始は関東で過ごす予定でいます。
ブログのほうは、今まで撮りためていたもので書き続けていきたいとおもいます。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、昨日の写真の続きです。
釜石市内の国道45号線を通過します。
国道の中でも津波の影響がのこっている地域です。
釜石北部の地域にやってきました。
この北隣の町は大槌町です。
三陸地方の国道45号線はアップダウンが激しく時には海辺を通る事がありますが、
海に面している国道ではやはり津波で被災していてそれを修復されている様子が見られます。
釜石市北部の鵜住居地区に到着です。
こちらにくるとまだ、被災してそのままの家屋がみられました。
この先が鵜住居川の河口です。
前進します。
国道が左に折れる場所で、右に曲がります。
このさきには鵜住居川の河口です。
鵜住居川の河口についてですが、
ここは野鳥がよう見られる地域として知られています。
奥に釜石市の小中学校があります。
こちらの学校は、4階まですべて津波で水没した被害の大きかった学校です。
校庭には瓦礫が集められています。
大船渡市内おおむね同じ様子です。
学校が被災すると、学校自体が他の学校に間借りして授業が進められていています。
どの地域も被災した学校の今後については、現在、様々な議論がなされています。
舗装道路がまだなっていなく、道に泥が浮いています。
この日は寒くて水たまりに氷が張っています。
学校に近づいてみました。
4階という高さを実感し、その高さまで津波がきたということを考えると、
大変なものだったと想像できます。
現在、釜石東中学校は廃校になった釜石市内の校舎を使用して、学校が運営されているそうです。また他のサイトの情報からは青年海外協力隊出身の団体が活動されているそうです。
鵜住居川の方を見ます。
川の反対側は学校の校庭で瓦礫の山になっています。
防潮堤の上を通っていきます。
すると、河口にカモの仲間がいます。
頭が緑色で体全体は白い小型のカモがいます。
ホオジロガモといいます。
ホッペタが白いです。
海で魚をとって食べる海ガモの仲間です。
他にもいます。
似たような色合いですが、大きさが違っていて大きいです。
このカモはカワアイサといいます。
大型のカモでこれももぐって魚をとって捕まえるカモの仲間です。
鵜住居川の河口の南側と通っていきます。
まっすぐ進みます。
この先には、砂浜のある素敵な海岸は震災前にあったのですが、その様子を見に行きます。
地区の名前は根浜(ねばま)です。
この先はまた、次回へ続きます。
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2011.12.23 Friday
釜石市南部、唐丹地区の様子
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おはようございます。
昨晩は職場の忘年会でした。
忘年会のもようしものはいろいろとあったのですが、
今年一年を振り返るという話が多かったように思います。
中でも震災関係で今年、4月(年度初め)から仕事が始まる事ができるか心配だったとか、
今年、忘年会などは年度はじめのときは考えられなかったとか、いろいろありました。
さて、今朝は少し風が強いです。
三陸町崎浜。
冬の名物、大風です。
アパートもをゆらします。
それに少し雪がちらついています。
昨日の写真の続きです。
さて、今日の写真は前日の続きです。
吉浜地区吉浜の海岸から移動します。
吉浜川河口です。
津波が押し寄せてあたりいったい更地になっています。
津波はどちらでもそうですが、川をさかのぼり川付近も大きな被害をうけました。
仮設の橋をわたり戻ります。
そして45号線へ。
北に向います。
鹿のマーク。
鹿との交通事故が多発しています。
みなさん、お気をつけ下さい。
さらに北へ向います。
吉浜地区、唯一のガソリンスタンドです。
三陸町から釜石市に向う途中では様々な工事がなされています。
国道45号線がこの岩手県沿岸地区の幹線道路なので、この道路の修繕が優先順位が高いのだと思います。
3、4分待って通り過ぎます。
この日は休日でしたが、休みなしで作業が進められています。
釜石市に入りました。
三陸町と隣接している釜石市唐丹地区です。
上の写真は唐丹の学校です。
海に近いため被災しています。
それから唐丹駅です。
三陸鉄道、南リアス線で吉浜の北に位置する駅です。
南リアス線の復活はあるのでしょうか。
駅にはすでにお店もたっています。
国道も問題なく通過できます。
橋の修繕、強化している工事も同時になされています。
唐丹駅の北側には仮設住宅が建っているところがあります。
三陸の雄大な景色がみられます。
そして、また工事地区です。
震災でなにかとありますが、津波だけではなく、地震の揺れそのもので被災して、
崖崩れがおこっていしまっているところがあり、道路の修繕には大変な時間がかかっています。
釜石平田地区に到着です。
奥の白い像は釜石観音です。
この平田地区は海辺に様々な施設がありますが、
津波で被災してしまっています。
写真の中央では信号の工事が行われています。
震災から9ヶ月以上経過しているのですが、幹線道路の国道でもこのような状況です。
さらに進み、釜石中心街にきました。
右手に運転免許センターがあります。
こちらは被災した車がまだおいてあります。
ここからさらに釜石市中心街を通り過ぎ、釜石市北部の鵜住居地区に進みます。
写真は続きます。
おはようございます。
昨晩は職場の忘年会でした。
忘年会のもようしものはいろいろとあったのですが、
今年一年を振り返るという話が多かったように思います。
中でも震災関係で今年、4月(年度初め)から仕事が始まる事ができるか心配だったとか、
今年、忘年会などは年度はじめのときは考えられなかったとか、いろいろありました。
さて、今朝は少し風が強いです。
三陸町崎浜。
冬の名物、大風です。
アパートもをゆらします。
それに少し雪がちらついています。
昨日の写真の続きです。
さて、今日の写真は前日の続きです。
吉浜地区吉浜の海岸から移動します。
吉浜川河口です。
津波が押し寄せてあたりいったい更地になっています。
津波はどちらでもそうですが、川をさかのぼり川付近も大きな被害をうけました。
仮設の橋をわたり戻ります。
そして45号線へ。
北に向います。
鹿のマーク。
鹿との交通事故が多発しています。
みなさん、お気をつけ下さい。
さらに北へ向います。
吉浜地区、唯一のガソリンスタンドです。
三陸町から釜石市に向う途中では様々な工事がなされています。
国道45号線がこの岩手県沿岸地区の幹線道路なので、この道路の修繕が優先順位が高いのだと思います。
3、4分待って通り過ぎます。
この日は休日でしたが、休みなしで作業が進められています。
釜石市に入りました。
三陸町と隣接している釜石市唐丹地区です。
上の写真は唐丹の学校です。
海に近いため被災しています。
それから唐丹駅です。
三陸鉄道、南リアス線で吉浜の北に位置する駅です。
南リアス線の復活はあるのでしょうか。
駅にはすでにお店もたっています。
国道も問題なく通過できます。
橋の修繕、強化している工事も同時になされています。
唐丹駅の北側には仮設住宅が建っているところがあります。
三陸の雄大な景色がみられます。
そして、また工事地区です。
震災でなにかとありますが、津波だけではなく、地震の揺れそのもので被災して、
崖崩れがおこっていしまっているところがあり、道路の修繕には大変な時間がかかっています。
釜石平田地区に到着です。
奥の白い像は釜石観音です。
この平田地区は海辺に様々な施設がありますが、
津波で被災してしまっています。
写真の中央では信号の工事が行われています。
震災から9ヶ月以上経過しているのですが、幹線道路の国道でもこのような状況です。
さらに進み、釜石中心街にきました。
右手に運転免許センターがあります。
こちらは被災した車がまだおいてあります。
ここからさらに釜石市中心街を通り過ぎ、釜石市北部の鵜住居地区に進みます。
写真は続きます。
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2011.12.22 Thursday
冬を迎えた吉浜海岸
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おはようございます。
今日の写真は昨日の写真の続きで、三陸町吉浜です。
三陸町越喜来から吉浜方面へ国道45号線で移動します。
吉浜への峠です。
国道45号線にある崖の工事も急ピッチで進められているようにみてとれます。
峠を越えていくと、そこには吉浜の海岸が一望できます。
車の移動なので残念ながらうまい写真はとれませんでした。
峠をおりて吉浜海岸へ向います。
左側は夏虫山の吉浜側からの入り口です。
写真の奥にありますが、三陸縦貫道の工事も同時に進められています。
一度、計画がたって進められると、震災後でも進められているようです。
現在、三陸縦貫道は大船渡市から三陸町越喜来の手前までで道が途切れていますが、
現在その北の位置にある吉浜、釜石方面の道路も次々と完成していくと思われいます。
国道をそれて吉浜海岸の田畑がある地域まできました。
吉浜川がとなりにあります。
この川もとってもきれいな川で多くの生き物がいます。
さらに進みます。
奥に海岸がみえます。
田畑が広がっていた場所ですが、津波で被災して現在はなにもない状態です。
あらためてみてみると、とても広いです。
まっすぐいくと海岸があるのですが、右に曲がります。
新しく作られた仮設の橋があります。
ここをまっすぐいって、峠を越えると三陸町崎浜地区です。
その先にいくと新しい施設があります。
水槽がたくさん並んでいます。
なんでしょうか。
鮭のふ化場です。
来年度に放流する鮭の卵をふ化する施設です。
今年やってきた鮭は1年から6年前に放流されたものです。
今年放流するものは、早くて来年戻ってきます。
鮭漁は三陸地方では重要な水産資源で、震災後、再建がなされています。
さらに進むと吉浜河口の南側から吉浜の海岸を望む事ができます。
防潮堤、護岸のコンクリートの残骸がまだ残っています。
震災後は人工物は、というよりは人工物だけが、ひどく壊されていましたが、
まだ片付けは終わっていない様子でした。
コンクリートで覆われた防潮堤は形のないほどに破壊されてしまったので、
現在は各地で使用されている写真にもある大型の黒い土のうが並べて仮設の防潮堤になっています。
以前、多くの人でにぎわった吉浜の海水浴場はいつ復活するのでしょか。
山のほうを見ます。
針葉樹は概して津波の塩分で枯れているところがあります。
以上、冬を迎えた吉浜海岸の様子でした。
このあと、さらに北の町を向って移動します。
おはようございます。
今日の写真は昨日の写真の続きで、三陸町吉浜です。
三陸町越喜来から吉浜方面へ国道45号線で移動します。
吉浜への峠です。
国道45号線にある崖の工事も急ピッチで進められているようにみてとれます。
峠を越えていくと、そこには吉浜の海岸が一望できます。
車の移動なので残念ながらうまい写真はとれませんでした。
峠をおりて吉浜海岸へ向います。
左側は夏虫山の吉浜側からの入り口です。
写真の奥にありますが、三陸縦貫道の工事も同時に進められています。
一度、計画がたって進められると、震災後でも進められているようです。
現在、三陸縦貫道は大船渡市から三陸町越喜来の手前までで道が途切れていますが、
現在その北の位置にある吉浜、釜石方面の道路も次々と完成していくと思われいます。
国道をそれて吉浜海岸の田畑がある地域まできました。
吉浜川がとなりにあります。
この川もとってもきれいな川で多くの生き物がいます。
さらに進みます。
奥に海岸がみえます。
田畑が広がっていた場所ですが、津波で被災して現在はなにもない状態です。
あらためてみてみると、とても広いです。
まっすぐいくと海岸があるのですが、右に曲がります。
新しく作られた仮設の橋があります。
ここをまっすぐいって、峠を越えると三陸町崎浜地区です。
その先にいくと新しい施設があります。
水槽がたくさん並んでいます。
なんでしょうか。
鮭のふ化場です。
来年度に放流する鮭の卵をふ化する施設です。
今年やってきた鮭は1年から6年前に放流されたものです。
今年放流するものは、早くて来年戻ってきます。
鮭漁は三陸地方では重要な水産資源で、震災後、再建がなされています。
さらに進むと吉浜河口の南側から吉浜の海岸を望む事ができます。
防潮堤、護岸のコンクリートの残骸がまだ残っています。
震災後は人工物は、というよりは人工物だけが、ひどく壊されていましたが、
まだ片付けは終わっていない様子でした。
コンクリートで覆われた防潮堤は形のないほどに破壊されてしまったので、
現在は各地で使用されている写真にもある大型の黒い土のうが並べて仮設の防潮堤になっています。
以前、多くの人でにぎわった吉浜の海水浴場はいつ復活するのでしょか。
山のほうを見ます。
針葉樹は概して津波の塩分で枯れているところがあります。
以上、冬を迎えた吉浜海岸の様子でした。
このあと、さらに北の町を向って移動します。
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2011.12.21 Wednesday
崎浜から浦浜に向う風景
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
朝、窓を開けたら雪景色というような日が続いています。
今日の写真は崎浜から浦浜に向う風景の写真をお送ります。
まずは崎浜から。
畑があります。
白菜や水菜、ほうれん草などの葉っぱものが多いですね。
冬野菜です。
崎浜小学校です。
現在はグランドは仮設住宅があり、学校自体は三陸町の甫嶺小学校に児童たちが通っています。同じく浦浜にある越喜来小学校の甫嶺小学校にいっています。
甫嶺小学校では、学校が3つ集まっている状態になっています。
現在、沿岸の被災していない学校のほとんどは校庭に仮設住宅が設置されています。
崎浜のメインストリートに入ります。
いつものように港の方面に向います。
バス停があります。
朝夕は通学、通勤、通院の方々がいるのが見られます。
この日は雪が降った後に晴れてきました。
瓦礫がなくなった被災地です。
崎浜のように比較的規模の小さい地域の瓦礫撤去、片付けのようなものは、
都市部に比べて量がすくないためか、早く終わっています。
地域によっては、行政の発表がある前に、地域の組織で物事がすすんでいたというお話もきいたことがあります。
そんなお話をきいていると、海を相手に生活されている人々の団結力がかいま見られます。
この日は写真では快晴なんですが、風がとても強い日でした。
旗がなびいています。
強い西よりの風は冬の崎浜の名物ですね。
港の入り口にあるメッセージ。
震災後からあります。
漁業施設?の建物です。
近頃、新しく建設されました。
崎浜地区では震災後目立って建築されたのは、この位置から少し高いところにあるヤマザキYショップ。その次にこの建物がたちました。
瓦礫を撤去し、更地になったあとの権威区物なので、なんだか感慨深いものがあります。
近くには崖が崩れている者があります。
石段が崩れてしまっています。
個人の持ち物ですが、一度壊れてしまうと、大掛かりな工事が必要で大変です。
地震が多いちくだからこそ、基礎の安定度を図るために基礎工事はなければならないものだと思います。
崎浜地区をあとにします。
空が青いです。
車からみているだけでは寒さはないので壮快です。
日陰には雪がうっすら残っています。
徐行して進みます。
北里大学の学生がよくいう浦崎間のみちです。
浦というのは、三陸町の浦浜地区、崎というのは三陸町の崎浜地区のことを指します。
元大学生には懐かしい風景ではないでしょうか。
このごろになって、道が新しく舗装されました。
表面がきれいな道になっています。
夏虫山が見えるところまでやってきました。
北上山地系の山で、三陸町を代表する自然豊かな山です。
入浴やバーベキューができる施設、キャンプ場などなど、様々なレジャー施設、アウトドア施設があります。
おはようございます。
朝、窓を開けたら雪景色というような日が続いています。
今日の写真は崎浜から浦浜に向う風景の写真をお送ります。
まずは崎浜から。
畑があります。
白菜や水菜、ほうれん草などの葉っぱものが多いですね。
冬野菜です。
崎浜小学校です。
現在はグランドは仮設住宅があり、学校自体は三陸町の甫嶺小学校に児童たちが通っています。同じく浦浜にある越喜来小学校の甫嶺小学校にいっています。
甫嶺小学校では、学校が3つ集まっている状態になっています。
現在、沿岸の被災していない学校のほとんどは校庭に仮設住宅が設置されています。
崎浜のメインストリートに入ります。
いつものように港の方面に向います。
バス停があります。
朝夕は通学、通勤、通院の方々がいるのが見られます。
この日は雪が降った後に晴れてきました。
瓦礫がなくなった被災地です。
崎浜のように比較的規模の小さい地域の瓦礫撤去、片付けのようなものは、
都市部に比べて量がすくないためか、早く終わっています。
地域によっては、行政の発表がある前に、地域の組織で物事がすすんでいたというお話もきいたことがあります。
そんなお話をきいていると、海を相手に生活されている人々の団結力がかいま見られます。
この日は写真では快晴なんですが、風がとても強い日でした。
旗がなびいています。
強い西よりの風は冬の崎浜の名物ですね。
港の入り口にあるメッセージ。
震災後からあります。
漁業施設?の建物です。
近頃、新しく建設されました。
崎浜地区では震災後目立って建築されたのは、この位置から少し高いところにあるヤマザキYショップ。その次にこの建物がたちました。
瓦礫を撤去し、更地になったあとの権威区物なので、なんだか感慨深いものがあります。
近くには崖が崩れている者があります。
石段が崩れてしまっています。
個人の持ち物ですが、一度壊れてしまうと、大掛かりな工事が必要で大変です。
地震が多いちくだからこそ、基礎の安定度を図るために基礎工事はなければならないものだと思います。
崎浜地区をあとにします。
空が青いです。
車からみているだけでは寒さはないので壮快です。
日陰には雪がうっすら残っています。
徐行して進みます。
北里大学の学生がよくいう浦崎間のみちです。
浦というのは、三陸町の浦浜地区、崎というのは三陸町の崎浜地区のことを指します。
元大学生には懐かしい風景ではないでしょうか。
このごろになって、道が新しく舗装されました。
表面がきれいな道になっています。
夏虫山が見えるところまでやってきました。
北上山地系の山で、三陸町を代表する自然豊かな山です。
入浴やバーベキューができる施設、キャンプ場などなど、様々なレジャー施設、アウトドア施設があります。
この日は午前中に雪が降りましたが、山には目立って積雪は見られません。
まだまだ、夏虫山へのドライブは可能ですね。
それから、12月の現在、あと1月、2月がすぎれば、渓流釣りの季節到来です。
この山に流れる清流でヤマメやイワナ釣りなども可能です。
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2011.12.20 Tuesday
三陸地方と鹿の交通事故
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おはようございます。
三陸地方は冬を迎えて、冬型の気圧配置が強くなったときは強い西風がふき、
弱まったときには気温は低いですが清々しい朝を迎えます。
夕方になると西風が吹いてきます。
漁師さんの話では、この夕方に吹く西風は危険なもので、
越喜来なら湾の入り口、海の沖のほうへどんどんと船が流されていきます。
私も学生のとき、大学の船で調査のため学生のみで海へ出たものの、
エンジンの調子が悪く途中でとまってしまい、少しの時間でしたが漂流したことあります。
そのときちょうどこの西風が吹いていて、あっというまに沖へ沖へ流されていきます。
ワカメの養殖のロープに突っ込み、なんとか流されないで船を保って、
エンジンがかかるのをまち、なんとか崎浜に帰ってくる事ができましたが、
他にも学生がいたのですが、あのときの孤独感といったらなかったです。
非常にやな予感がするといいますか、言葉では言い表せません。
そんな海の危険と隣り合わせで働かれていて、さらにこの震災で大打撃をうけている
漁師のみなさんには頭があがりません・・・・。
陸でいただく魚を無駄なく美味しく感謝していただきます。
写真ですが、まずは昨日の大船渡の盛駅付近の踏切で電車が通るのをみました。
一瞬のことなので、撮影失敗に終わってしまいました。
上の写真は電車通過後にとったものです。
電車は岩石を大量に載せた貨物車です。
赤崎町のセメント工場にむかっていました。
それから次の写真。
崎浜に向う道路ですが、基礎の工事が終了したようです。
左がわの車線もとおれることになりました。
信号機もありません。
開通です。
そしていつものように越喜来の被災地を通って綾里に通勤です。
夏虫山が見えます。
北上山地系の山です。
近頃、職場で話題にのぼっているのは野生の鹿の交通事故です。
そんな話を聞いて夜道、自宅に戻ろうとしたところ、
路上に何かがあります。
もしかして!人!?
とおもって近づきます。
野生の鹿です。
交通事故なのでしょう。
どなたかの車と衝突したにちがいありません。
短い角があるので若い雄でしょうか。
写真をとってそのまま通りすぎてしまいました・・・・・。
次の朝には、この鹿の遺体はありませんでした。
近頃、このような鹿の交通事故を聞いたり、鹿の死体をみることが多いです。
車の運転には沖をつけください。
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2011.12.19 Monday
積雪のある日の泊地区から小峠、国道45号線
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
昨日の雪ですが、朝は積雪があり、午前中はからっと晴れたため日が当たる場所では溶けてなくなってしまい、午後から風が強くなり軽く吹雪きになりました。
いよいよ雪のある季節のなってきたという感があります。
さて写真は昨日の雪のある風景を集めてみました。
三陸町浦浜地区から泊地区方面へ向います。
さっそく日陰の場所はアイスバーンです。
気をつけて通行します。
雪道になれている方はご存知だと思いますが、
積雪後の道路の状態は、日が当たっている場所と日陰の場所では雪の残り具合は顕著に事なります。
泊漁港にやってきました。
この日はとても西よりの風が強い一日でした。
泊漁港は道路からの入り口がなくなってしまうくらいめちゃめちゃな被害をうけましたが、
現在のところ、漁港内は整備され始めています。
様々な機材が漁港内にあります。
大手の建設関係の企業の名前がはいった船舶をよく目にします。
被災して使えなくなったテトラポッドがかためられておいてあります。
三陸町内でも崎浜地区はテトラポッドまでは被害がありませんでしたが、こちらはそうではなく被害は深刻です。
漁港の沖に浮いているように見える防潮堤はもともと左右には続きがあったつくりをしていましたが、被災してこのような状況になってしまっています。
手前には養殖の筏があります。
これまでは見かけなかった漁具です。
手前の建物は泊地区で有名な「民宿とまり荘」です。
こちらも震災後から営業されています。
移動します。
泊漁港の脇を通ります。
漁港の裏側の土地は被災しほとんどの家屋がなくなってしまいました。
それからすでに漁業関係のもので、営業を再開されているところもあります。
プレハブなどの仮設が事務所になっているようです。
泊漁港をあとにします。
三陸鉄道の線路をくぐって、大船渡市内方面の国道45号線に繋がる「小峠」という地域に向います。
すると、これもまた漁業関連の会社でしょうか。
プレハブで営業が再開されているようです。
大漁旗が高々と掲げられています。
網干場という場所があります。
定置網をやっている会社でしょうか。
秋から冬場は様々な魚類が定置網にかかるので、地元の魚屋をみるのはとても楽しみです。
イナダ、スルメイカ、サバ、カンパチなどなど、時にはマグロも入るそうです。
進みます。
前方に白いものが見えます。
日陰にあるアイスバーンです。
かなり滑りそうです。しかも、坂道でカーブの場所です。
ガードレールがとぎれとぎれになっている場所です。
危険極まりないポイントです。
辺り一面うっすらと雪がつもっている場所です。
谷なので太陽の光が入ってこないため、雪がつもりやすくなっているのでしょうか。
進みます。
またもや、アイスバーン。
危険な場所です。
徐行ですすみます。
対向車もくることを想定してかなりゆっくりです。
柿が真っ赤になって熟れています。
動物や鳥たちの餌になっているに違いありません。
そうこうと小峠を越えて国道45号線、三陸縦貫道に出ました。
写真では、確認できないと思いますが、雪がけっこう降っている状態です。
空の色ですこしは想像できるでしょうか。
トンネルをぬけます。
この日は大船渡方面でも雪が横に降っていました。
ためになる情報だと思われた方は下のボタンをお押しください。おはようございます。
昨日の雪ですが、朝は積雪があり、午前中はからっと晴れたため日が当たる場所では溶けてなくなってしまい、午後から風が強くなり軽く吹雪きになりました。
いよいよ雪のある季節のなってきたという感があります。
さて写真は昨日の雪のある風景を集めてみました。
三陸町浦浜地区から泊地区方面へ向います。
さっそく日陰の場所はアイスバーンです。
気をつけて通行します。
雪道になれている方はご存知だと思いますが、
積雪後の道路の状態は、日が当たっている場所と日陰の場所では雪の残り具合は顕著に事なります。
泊漁港にやってきました。
この日はとても西よりの風が強い一日でした。
泊漁港は道路からの入り口がなくなってしまうくらいめちゃめちゃな被害をうけましたが、
現在のところ、漁港内は整備され始めています。
様々な機材が漁港内にあります。
大手の建設関係の企業の名前がはいった船舶をよく目にします。
被災して使えなくなったテトラポッドがかためられておいてあります。
三陸町内でも崎浜地区はテトラポッドまでは被害がありませんでしたが、こちらはそうではなく被害は深刻です。
漁港の沖に浮いているように見える防潮堤はもともと左右には続きがあったつくりをしていましたが、被災してこのような状況になってしまっています。
手前には養殖の筏があります。
これまでは見かけなかった漁具です。
手前の建物は泊地区で有名な「民宿とまり荘」です。
こちらも震災後から営業されています。
移動します。
泊漁港の脇を通ります。
漁港の裏側の土地は被災しほとんどの家屋がなくなってしまいました。
それからすでに漁業関係のもので、営業を再開されているところもあります。
プレハブなどの仮設が事務所になっているようです。
泊漁港をあとにします。
三陸鉄道の線路をくぐって、大船渡市内方面の国道45号線に繋がる「小峠」という地域に向います。
すると、これもまた漁業関連の会社でしょうか。
プレハブで営業が再開されているようです。
大漁旗が高々と掲げられています。
網干場という場所があります。
定置網をやっている会社でしょうか。
秋から冬場は様々な魚類が定置網にかかるので、地元の魚屋をみるのはとても楽しみです。
イナダ、スルメイカ、サバ、カンパチなどなど、時にはマグロも入るそうです。
進みます。
前方に白いものが見えます。
日陰にあるアイスバーンです。
かなり滑りそうです。しかも、坂道でカーブの場所です。
ガードレールがとぎれとぎれになっている場所です。
危険極まりないポイントです。
辺り一面うっすらと雪がつもっている場所です。
谷なので太陽の光が入ってこないため、雪がつもりやすくなっているのでしょうか。
進みます。
またもや、アイスバーン。
危険な場所です。
徐行ですすみます。
対向車もくることを想定してかなりゆっくりです。
柿が真っ赤になって熟れています。
動物や鳥たちの餌になっているに違いありません。
そうこうと小峠を越えて国道45号線、三陸縦貫道に出ました。
写真では、確認できないと思いますが、雪がけっこう降っている状態です。
空の色ですこしは想像できるでしょうか。
トンネルをぬけます。
この日は大船渡方面でも雪が横に降っていました。
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