2011.05.31 Tuesday
越喜来の北里大学と小壁漁港
こんばんは。
こちら、岩手県三陸町は寒いです。涼しいどころではありません。
部屋にいて白い息がでるほどです。
ウェブの気象情報では8度となっていますが、もっと低いんじゃないかと思わせるほどです。
さて、岩手県、大船渡市三陸町を綴っています。
今日は、北里大学海洋生命学部とその先にある小壁(小壁)漁港です。
北里大学はこれから5年は岩手県のキャンパスを使わずに、教養部がある神奈川県相模原市で授業や研究が行われるそうです。こちらには、学生用の様々な施設やアパートがありますが、大学は閉鎖されていて誰も使っていない状態で、アパートは大船渡市、釜石市、陸前高田市の被災者や建築関係者、教員などが使用しています。
震災によって多くの家が失われて、被災地の不動産の事情は、新しい物件を見つけるのは困難な状況になっています。そんな中で、三陸町の撤退した大学生用のアパートが残っている訳です。
そんなわけで、OBとして大学のようすをみてきました。
校舎は損壊しているところはみあたりませんでした。
15年前の状態とあまりかわりがありません。
下の駐車場からみたところ。
やっぱり、昔とかわりがありません。
と、その脇をみたら、駐車場からさらに下の海に通じる小道が。
これは、むかしありませんでした。
大学なのに、見渡しはいい環境でしたが、海までなかなか出られない場所ではありました。
そして、ちょっとした丘に休憩所なんかがあって、憩いの場所になっていたのだろうかとおもわせる作りになっていました。
さて、続いて大学の先にある小壁漁港。
ここは、人が住んでいない小さな漁港になっています。
大学から3キロくらいのところです。
小さな建物はあったのかもしれませんが、大した被害はみられませんでした。
ただ、道路は少し痛んでいます。
車高の低い車は、大変かも知れません。
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こちら、岩手県三陸町は寒いです。涼しいどころではありません。
部屋にいて白い息がでるほどです。
ウェブの気象情報では8度となっていますが、もっと低いんじゃないかと思わせるほどです。
さて、岩手県、大船渡市三陸町を綴っています。
今日は、北里大学海洋生命学部とその先にある小壁(小壁)漁港です。
北里大学はこれから5年は岩手県のキャンパスを使わずに、教養部がある神奈川県相模原市で授業や研究が行われるそうです。こちらには、学生用の様々な施設やアパートがありますが、大学は閉鎖されていて誰も使っていない状態で、アパートは大船渡市、釜石市、陸前高田市の被災者や建築関係者、教員などが使用しています。
震災によって多くの家が失われて、被災地の不動産の事情は、新しい物件を見つけるのは困難な状況になっています。そんな中で、三陸町の撤退した大学生用のアパートが残っている訳です。
そんなわけで、OBとして大学のようすをみてきました。
校舎は損壊しているところはみあたりませんでした。
15年前の状態とあまりかわりがありません。
下の駐車場からみたところ。
やっぱり、昔とかわりがありません。
と、その脇をみたら、駐車場からさらに下の海に通じる小道が。
これは、むかしありませんでした。
大学なのに、見渡しはいい環境でしたが、海までなかなか出られない場所ではありました。
そして、ちょっとした丘に休憩所なんかがあって、憩いの場所になっていたのだろうかとおもわせる作りになっていました。
さて、続いて大学の先にある小壁漁港。
ここは、人が住んでいない小さな漁港になっています。
大学から3キロくらいのところです。
小さな建物はあったのかもしれませんが、大した被害はみられませんでした。
ただ、道路は少し痛んでいます。
車高の低い車は、大変かも知れません。
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2011.05.30 Monday
浦浜の様子2
みなさん、こんばんは。
こちら、三陸町は温帯的気圧がやってきて北風が強くて寒いです・・・。
風力10を超えた時間帯もあり、海は大荒れ、森も木々が揺れています。
道ばたには中程度の枝がおちていて、たいした荒れ模様です。
それで、昨日の続き、浦浜地区の様子です。
とにかく、いえることは、国道45号線沿いのローソン以外のお店がまったくなくなってしまっている状態です。
浦浜川沿いを中心に、建物がなくなってしまっています。
瓦礫は撤去されて持ちこたえている建物は、直し始めているところもありますが、
まだまだ、瓦礫の撤去できていない所もあります。
(今の三陸町とこれからの復興の様子を書きたいと思っているんですが、まずは、現在の三陸町を書かないと話がつながっていかないので、ひとまず言葉に気をつけながら、三陸町の今を書かせてください。)
とくに浦浜川河口は道が寸断されています。
瓦礫の集積場です。
いくらか、分別され始めていますが、木製の瓦礫が目立ちます。
浦浜川河口あたりから浦浜地区を見渡した風景。
メインストリートに戻ります。
旧三陸町役場。今は三陸町は大船渡市に合併したので、町役場ではなくなっています。
この建物も2階まで津波で破壊されています。
浦浜川近くのJAのガソリンスタンド。
浦浜地区にはガソリンスタンドはながされてしまいました。
近くによってみると、
三陸町、越喜来(おきらい)という地名なので、
『ここがオキライですか?」
「はい、でも(越喜来(おきらい)が)大好きだよ」と書いてあります。
最初は、被災している状態で、ユーモアをまじえて書いているというような感覚をもっていなかったので、「??????」でしたが、こんなところも、三陸町の方々のきさくで、ある意味力強さを感じます。
左側に張られている絵は、近くの被災した越喜来小学校の生徒が書いた未来の越喜来地区の想像図です。
浦浜地区も一歩一歩、復興に向けて進んでいます。
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こちら、三陸町は温帯的気圧がやってきて北風が強くて寒いです・・・。
風力10を超えた時間帯もあり、海は大荒れ、森も木々が揺れています。
道ばたには中程度の枝がおちていて、たいした荒れ模様です。
それで、昨日の続き、浦浜地区の様子です。
とにかく、いえることは、国道45号線沿いのローソン以外のお店がまったくなくなってしまっている状態です。
浦浜川沿いを中心に、建物がなくなってしまっています。
瓦礫は撤去されて持ちこたえている建物は、直し始めているところもありますが、
まだまだ、瓦礫の撤去できていない所もあります。
(今の三陸町とこれからの復興の様子を書きたいと思っているんですが、まずは、現在の三陸町を書かないと話がつながっていかないので、ひとまず言葉に気をつけながら、三陸町の今を書かせてください。)
とくに浦浜川河口は道が寸断されています。
瓦礫の集積場です。
いくらか、分別され始めていますが、木製の瓦礫が目立ちます。
浦浜川河口あたりから浦浜地区を見渡した風景。
メインストリートに戻ります。
旧三陸町役場。今は三陸町は大船渡市に合併したので、町役場ではなくなっています。
この建物も2階まで津波で破壊されています。
浦浜川近くのJAのガソリンスタンド。
浦浜地区にはガソリンスタンドはながされてしまいました。
近くによってみると、
三陸町、越喜来(おきらい)という地名なので、
『ここがオキライですか?」
「はい、でも(越喜来(おきらい)が)大好きだよ」と書いてあります。
最初は、被災している状態で、ユーモアをまじえて書いているというような感覚をもっていなかったので、「??????」でしたが、こんなところも、三陸町の方々のきさくで、ある意味力強さを感じます。
左側に張られている絵は、近くの被災した越喜来小学校の生徒が書いた未来の越喜来地区の想像図です。
浦浜地区も一歩一歩、復興に向けて進んでいます。
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2011.05.29 Sunday
5月22日、浦浜地区の様子
こんばんは。
三陸町の様子を綴っています。
今回は、越喜来で一番栄えている浦浜地区です。
旧三陸町役場の建物をみると、2階まで破壊されていました。
かなり高いところまで波が押し寄せたようです。
それから、浦浜の川沿いはかなり奥の地域まで建物がなくなってしまいました。
国道45号線から海に向かって100から150mくらいは建物が残っています。
45号線から浦浜地区の集落を走り抜けて、坂を上りきったところに大きなカーブがありますが、その手前に港に通じる下り坂のある道があります。
その途中で撮った写真です。
震災前は、防潮堤が2重にあったのですが、今は一部しか残っていません。
坂を下っていきます。
坂をおりると、港は津波で破壊されています。
このあたりはまだ、
漁具などの瓦礫も多く残っている地域です。
話によると、引き潮で海に流されてしまった人は、同じく海に持っていかれて外海に浮いている漁具のあたりで遺体となって発見されるそうです。今も海上保安庁の船が湾の外をいったりきたりしています。
浦浜地区は、次回につづきます。
余震もまだまだ続いていますが、こちらの方は、なんとかしようとがんばっておられます。
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三陸町の様子を綴っています。
今回は、越喜来で一番栄えている浦浜地区です。
旧三陸町役場の建物をみると、2階まで破壊されていました。
かなり高いところまで波が押し寄せたようです。
それから、浦浜の川沿いはかなり奥の地域まで建物がなくなってしまいました。
国道45号線から海に向かって100から150mくらいは建物が残っています。
45号線から浦浜地区の集落を走り抜けて、坂を上りきったところに大きなカーブがありますが、その手前に港に通じる下り坂のある道があります。
その途中で撮った写真です。
震災前は、防潮堤が2重にあったのですが、今は一部しか残っていません。
坂を下っていきます。
坂をおりると、港は津波で破壊されています。
このあたりはまだ、
漁具などの瓦礫も多く残っている地域です。
話によると、引き潮で海に流されてしまった人は、同じく海に持っていかれて外海に浮いている漁具のあたりで遺体となって発見されるそうです。今も海上保安庁の船が湾の外をいったりきたりしています。
浦浜地区は、次回につづきます。
余震もまだまだ続いていますが、こちらの方は、なんとかしようとがんばっておられます。
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2011.05.28 Saturday
三陸町、波板の様子
こんにちは。
三陸町の今をつづる復興ブログ。
今日は、三陸町の崎浜地区と浦浜地区の間にある、波板です。
ここには、アワビの養殖場があったり、ちょっとした海水浴場があったりします。
坂をおりて見える風景
アワビ養殖場も被災していました。
中に入ってみると、
放置されたアワビがあったり、水槽がめちゃめちゃに壊れていました。
西側の海水浴場と港にはの様子。
満潮になると海水が堤防の上まで水がきていました。
地盤が70cmほどさがったといわれているので、その影響でしょうか。
写真はまだ、干潮のときの様子。
港の中のそこには何かが沈んでいます。
震災は津波の破壊力もすごかったようですが、引き潮のようすもものすごかったようです。
行方不明者は、体をこの引き潮にもっていかれたといわれています。
海水浴場のほうは波をかぶったのか、崖が崩れていました。
少し、整備すれば海水浴場はまた、今夏には活気を取り戻しそうです。
波板地区から浦浜のほうをとってみました。
次回は、浦浜地区の5月22日の写真をのせていきます。
三陸町の今をつづる復興ブログ。
今日は、三陸町の崎浜地区と浦浜地区の間にある、波板です。
ここには、アワビの養殖場があったり、ちょっとした海水浴場があったりします。
坂をおりて見える風景
アワビ養殖場も被災していました。
中に入ってみると、
放置されたアワビがあったり、水槽がめちゃめちゃに壊れていました。
西側の海水浴場と港にはの様子。
満潮になると海水が堤防の上まで水がきていました。
地盤が70cmほどさがったといわれているので、その影響でしょうか。
写真はまだ、干潮のときの様子。
港の中のそこには何かが沈んでいます。
震災は津波の破壊力もすごかったようですが、引き潮のようすもものすごかったようです。
行方不明者は、体をこの引き潮にもっていかれたといわれています。
海水浴場のほうは波をかぶったのか、崖が崩れていました。
少し、整備すれば海水浴場はまた、今夏には活気を取り戻しそうです。
波板地区から浦浜のほうをとってみました。
次回は、浦浜地区の5月22日の写真をのせていきます。
2011.05.27 Friday
5月22日、崎浜港の様子
こんにちは。
岩手県三陸町の今の様子をお伝えするブログです。
今日は、崎浜の港をのせていきます。
瓦礫や被災した車、船などが整理しはじめて、おいてあります。
崎浜の港の扉。
防潮堤をこえる波のあとの引き潮でやられてしまったそうです。
被災した車たち。
ひどく壊れたものもあります。
津波の衝撃がどれほどだったかということを物語っています。
それから、船。
ユーチューブの動画をみると、漁師さんが自分の船が津波にのまれていく様子が出ています。
(たしか、浦浜地区だったかな?)
崎浜地区は、以前、大きな拡張がなされて大きな港になりました。
(平成7年時のものよりも)
多少地割れや崖が崩れているところがありますが、
崎浜の町の海辺、200mより奥は被災前となにもかわりはないようです。
岩手県三陸町の今の様子をお伝えするブログです。
今日は、崎浜の港をのせていきます。
瓦礫や被災した車、船などが整理しはじめて、おいてあります。
崎浜の港の扉。
防潮堤をこえる波のあとの引き潮でやられてしまったそうです。
被災した車たち。
ひどく壊れたものもあります。
津波の衝撃がどれほどだったかということを物語っています。
それから、船。
ユーチューブの動画をみると、漁師さんが自分の船が津波にのまれていく様子が出ています。
(たしか、浦浜地区だったかな?)
崎浜地区は、以前、大きな拡張がなされて大きな港になりました。
(平成7年時のものよりも)
多少地割れや崖が崩れているところがありますが、
崎浜の町の海辺、200mより奥は被災前となにもかわりはないようです。
2011.05.26 Thursday
まずは、三陸町崎浜の様子
三陸町の今を書いていきます。
まず、我々の母校のある大船渡市三陸町、崎浜地区
16年ぶりにやってきた崎浜地区は変わり果てていました。
7mほどの防潮堤が集落の前にあったのですが、それをゆうにこえて津波が押し寄せたとのこと。
一波目が到達して引き潮で、しまっていた防潮堤の扉が破壊されてしまい、2波目、3波目はなす術無く、
津波が町に押し寄せた。
港から約100mから150m先まで家屋は破壊されてしまいました。
今は瓦礫を撤去されつつあり、石垣をのこし何もない状態になっています。
車で、三陸町崎浜地区を港のほうへ坂をおりていきます。
ある高さから、家屋が流されているところがはじまります。
中島商店などのメインストリートは跡形もなくなっていました。
奥に見えるのが港前の漁協のビルです。
5月22日の時点で、瓦礫はかなり片付いているようでした。
これが瓦礫をいれる袋のです。
漁協ビルに近づいてきました。
まだ、瓦礫がのこっている場所もあります。
佐喜浜漁港の前の防潮堤にあるメッセージです。
様々な災害復興のメッセージがあちらこちらでみられます。
情報が役にたったと思われた方
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まず、我々の母校のある大船渡市三陸町、崎浜地区
16年ぶりにやってきた崎浜地区は変わり果てていました。
7mほどの防潮堤が集落の前にあったのですが、それをゆうにこえて津波が押し寄せたとのこと。
一波目が到達して引き潮で、しまっていた防潮堤の扉が破壊されてしまい、2波目、3波目はなす術無く、
津波が町に押し寄せた。
港から約100mから150m先まで家屋は破壊されてしまいました。
今は瓦礫を撤去されつつあり、石垣をのこし何もない状態になっています。
車で、三陸町崎浜地区を港のほうへ坂をおりていきます。
ある高さから、家屋が流されているところがはじまります。
中島商店などのメインストリートは跡形もなくなっていました。
奥に見えるのが港前の漁協のビルです。
5月22日の時点で、瓦礫はかなり片付いているようでした。
これが瓦礫をいれる袋のです。
漁協ビルに近づいてきました。
まだ、瓦礫がのこっている場所もあります。
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2011.05.22 Sunday
岩手県三陸町の今を綴っていきます
このたびの東日本大震災により、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
皆様の安全と被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
この東日本大震災を私も特別な思いでみていました。
というのも、岩手県三陸町で大学生活を過ごし、卒業後は5年間、大船渡市を中心に公立中学校で働いていて、私自身の第2のふるさとと呼べる場所でした。震災から2ヶ月がすぎた今でさえ、津波によって被災地の様子は筆舌に尽くしがたいものがあります。
母校の北里大学は、神奈川の相模原に撤退、この先5年は三陸のキャンパスはつかわれないことが決定し、大学構内には先生方、学生は誰一人いない状態になりました。
浦浜地区では「かならず、俺たちのふるさとを復興させてみせる」と倒壊しかけた建物に赤のペンキでメッセージがあったり、崎浜地区の港には「一歩ずつ確実に」とタイヤに一文字ずつ書かれたメッセージがあったりと、この地区の方々復興を合い言葉にがんばっておられます。
今後、三陸町越喜来の崎浜地区、浦浜地区や大船渡市を中心に、震災当時の様子や各地の復興の様子を綴っていきたいと思います。
皆様の安全と被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
この東日本大震災を私も特別な思いでみていました。
というのも、岩手県三陸町で大学生活を過ごし、卒業後は5年間、大船渡市を中心に公立中学校で働いていて、私自身の第2のふるさとと呼べる場所でした。震災から2ヶ月がすぎた今でさえ、津波によって被災地の様子は筆舌に尽くしがたいものがあります。
母校の北里大学は、神奈川の相模原に撤退、この先5年は三陸のキャンパスはつかわれないことが決定し、大学構内には先生方、学生は誰一人いない状態になりました。
浦浜地区では「かならず、俺たちのふるさとを復興させてみせる」と倒壊しかけた建物に赤のペンキでメッセージがあったり、崎浜地区の港には「一歩ずつ確実に」とタイヤに一文字ずつ書かれたメッセージがあったりと、この地区の方々復興を合い言葉にがんばっておられます。
今後、三陸町越喜来の崎浜地区、浦浜地区や大船渡市を中心に、震災当時の様子や各地の復興の様子を綴っていきたいと思います。
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