2012.01.06 Friday
大槌町、大槌中学校周辺
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
今朝、関東から三陸町に戻ってきました。
昨晩、池袋で夜行バスに乗り込み、朝7時に三陸町越喜来に到着。
そのまま、綾里へ出勤です。
また、2012年新しい年、被災地でどんな変化があるか、様子を見ていきたいと思います。
さてさて、写真は、昨日の大槌町の続きです。
安渡、赤浜地区から大槌中学校の方向へ向います。
左に見える川の向こうにあるのは、大槌病院です。
橋を渡ります。
あれ、こんなところだったっけ?と思えるほど、震災でかわってしまった周りの様子もありますが、ほとんど道を覚えていません。
大槌中学校に向います。
おはようございます。
今朝、関東から三陸町に戻ってきました。
昨晩、池袋で夜行バスに乗り込み、朝7時に三陸町越喜来に到着。
そのまま、綾里へ出勤です。
また、2012年新しい年、被災地でどんな変化があるか、様子を見ていきたいと思います。
さてさて、写真は、昨日の大槌町の続きです。
安渡、赤浜地区から大槌中学校の方向へ向います。
左に見える川の向こうにあるのは、大槌病院です。
橋を渡ります。
あれ、こんなところだったっけ?と思えるほど、震災でかわってしまった周りの様子もありますが、ほとんど道を覚えていません。
大槌中学校に向います。
以前この辺りを通勤路にしていたので、懐かしいです。
中学校の一回部分は被災してしまっています。
近くの川にはこのようなものがありました。
イトヨがいるんですね。
震災後はどうなっているのでしょうか。
ここにも津波がやってきて、一時は海水が入ってきているはずです。
河口や津波で被害を受けた川の生態系はどうなっているのか、想像もつきません。
近くに漁業関係の施設があります。
鮭のふ化場でしょうか。
さて、大槌中学校に話題を戻します。
学校では震災直後、火災が発生したそうです。
校舎の東側は黒く燃えた跡が見られる場所がありました。
職員用の玄関です。
隣は生徒ようの玄関があります。
生徒用のものはドアがなくなっていて中がのぞけました。
敷地内に入ってみます。
この学校の敷地は、以前は自衛隊がいて、様々な機器がおいてありました。
が、現在は自衛隊は撤退していません。
現在は校庭はこのように、瓦礫や被災した車がおいてあります。
中学校の校舎の北側には体育館があります。
現在も何か震災の復興の関係者がでいるしている様子がみられました。
さて、これから大槌町をあとにし、北隣の山田町に向います。
山田町は震災後初めて訪れる地域になります。
つづきます。
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2012.01.05 Thursday
大槌町、赤浜地区
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
昨日、1月4日でしたが、町にはまだ初詣の帰りというような方をよく目にしました。
まだまだ、正月気分ですね。
さて、今日の写真は大槌町、赤浜地区です。
港町です。
1990年代に豊かな海作り大会という国をあげたイベントがあり、
大槌町の港湾はいろいろと整備されました。
漁業関連の港としては岩手県内でも大型です。
漁業関連の施設は、まだまだ取壊しなどの手がはいっていないなものもありました。
さらに赤浜地区の奥のほうへ向います。
大学の研究所です。
岩手県沿岸には様々な研究機関が点々としています。
地質関連のも、水産関連のもの、気象関連、さまざまです。
これは修理している船舶です。
塗装の途中で見栄えはよくありませんが、きっと、一面色を塗り直されると思います。
船舶の被災を考えると、船体の手入れもそうだと思いますが、機関や電気機器関連の修理は大変だろうと想像できます。
小型の舟もどのようになったらこのような壊れ方をするのか、想像ができません。
流れてきた大量の瓦礫に押しつぶされたのでしょうか。
そのときのバキバキという音はテレビでみているだけでも大変なものです。
津波が防潮堤を越えた様子が想像できます。
赤浜地区の一番東側にきました。
防潮堤が歪んできます。
相当な力がくわわったことが想像できます。
ユーターンして来た道を戻る事にします。
さきほどあった
東大の研究所です。
この日は晴れていますが、気温は低く、3度程度でした。
西風も強かったです。
漁船です。
漁業といえば、三陸地方では様々な漁具が不足しているそうです。
たしかに、一般家庭にあるものではありませんし、特殊な道具が多いから
供給する側もそ一度に大量のものを供給できるようではないということが考えられます。
イカ釣りの明かりです。
夜は、沖合で煌々と光っています。
遠くにあるものは光源が直接みられません。
地球が丸いことが実感できます。
仮設のプレハブ式の建物です。
被災地では、ひとまず経済活動に必要なものはこのように対処されているところが多いです。
いつまでたっても何もない状態というのは、なにかと不便が生じるので、このように少しずつ町の機能が回復していくものだと思います。
赤浜方面から西の方角にある山を見ました。
すると、風車がたっています。
相当遠いいちにありますが、風力発電の施設です。
安渡方面にむかっています。
漁業関係の施設です。
15年も前、安渡地区に住んでいたときもこの施設はありました。
中には漁業が行われているか、これから進められると想像できる機材がありました。
以前、大槌の人と関わった思い出の場所です。
大槌といえば、私の印象としては、海と海に関わって生きる人々。
当時、関わった人々とは今はまったく関わりがありません。
どのようにされているか・・・どの方も想像の域からでません。
近年は漁港も一般に開かれたレジャー施設としての機能ももたせている所も多く、
大槌は震災前までの様子はどうだったのでしょうね。
15年以上も離れていると、新しいものもあったに違いありません。
どこでもみられる黒い土のうです。
海に沈めてアンカーとなります。
即席の漁具の一つです。
赤浜地区から安渡地区に戻ってきました。
写真中央にある縦縞がはいっている左右に細長い物体が、三陸鉄道の橋桁です。
すっかり落ちてしまっています。
区画の整理も住んでいるようです。
大槌の安渡、赤浜地区をみてきましたが、
大船渡と異なる点の一つは、土地が下がってしまっていて以前建物がたっていた場所に
潮の干満によって海水が大きくそして広い範囲で浸水するというような様子は見られませんでした。
他の地域とどうように、海からある程度はなれていて被災の度合いが少ない地域から少しずつ町の機能や住宅地区が回復していくのかなと考えさせられました。
このまま、安渡地区からさらに西に向かい大槌中学校周辺に向います。
つづく
ためになる情報だと思われた方は下のボタンをお押しください。おはようございます。
昨日、1月4日でしたが、町にはまだ初詣の帰りというような方をよく目にしました。
まだまだ、正月気分ですね。
さて、今日の写真は大槌町、赤浜地区です。
港町です。
1990年代に豊かな海作り大会という国をあげたイベントがあり、
大槌町の港湾はいろいろと整備されました。
漁業関連の港としては岩手県内でも大型です。
漁業関連の施設は、まだまだ取壊しなどの手がはいっていないなものもありました。
さらに赤浜地区の奥のほうへ向います。
大学の研究所です。
岩手県沿岸には様々な研究機関が点々としています。
地質関連のも、水産関連のもの、気象関連、さまざまです。
これは修理している船舶です。
塗装の途中で見栄えはよくありませんが、きっと、一面色を塗り直されると思います。
船舶の被災を考えると、船体の手入れもそうだと思いますが、機関や電気機器関連の修理は大変だろうと想像できます。
小型の舟もどのようになったらこのような壊れ方をするのか、想像ができません。
流れてきた大量の瓦礫に押しつぶされたのでしょうか。
そのときのバキバキという音はテレビでみているだけでも大変なものです。
津波が防潮堤を越えた様子が想像できます。
赤浜地区の一番東側にきました。
防潮堤が歪んできます。
相当な力がくわわったことが想像できます。
ユーターンして来た道を戻る事にします。
さきほどあった
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この日は晴れていますが、気温は低く、3度程度でした。
西風も強かったです。
漁船です。
漁業といえば、三陸地方では様々な漁具が不足しているそうです。
たしかに、一般家庭にあるものではありませんし、特殊な道具が多いから
供給する側もそ一度に大量のものを供給できるようではないということが考えられます。
イカ釣りの明かりです。
夜は、沖合で煌々と光っています。
遠くにあるものは光源が直接みられません。
地球が丸いことが実感できます。
仮設のプレハブ式の建物です。
被災地では、ひとまず経済活動に必要なものはこのように対処されているところが多いです。
いつまでたっても何もない状態というのは、なにかと不便が生じるので、このように少しずつ町の機能が回復していくものだと思います。
赤浜方面から西の方角にある山を見ました。
すると、風車がたっています。
相当遠いいちにありますが、風力発電の施設です。
安渡方面にむかっています。
漁業関係の施設です。
15年も前、安渡地区に住んでいたときもこの施設はありました。
中には漁業が行われているか、これから進められると想像できる機材がありました。
以前、大槌の人と関わった思い出の場所です。
大槌といえば、私の印象としては、海と海に関わって生きる人々。
当時、関わった人々とは今はまったく関わりがありません。
どのようにされているか・・・どの方も想像の域からでません。
近年は漁港も一般に開かれたレジャー施設としての機能ももたせている所も多く、
大槌は震災前までの様子はどうだったのでしょうね。
15年以上も離れていると、新しいものもあったに違いありません。
どこでもみられる黒い土のうです。
海に沈めてアンカーとなります。
即席の漁具の一つです。
赤浜地区から安渡地区に戻ってきました。
写真中央にある縦縞がはいっている左右に細長い物体が、三陸鉄道の橋桁です。
すっかり落ちてしまっています。
区画の整理も住んでいるようです。
大槌の安渡、赤浜地区をみてきましたが、
大船渡と異なる点の一つは、土地が下がってしまっていて以前建物がたっていた場所に
潮の干満によって海水が大きくそして広い範囲で浸水するというような様子は見られませんでした。
他の地域とどうように、海からある程度はなれていて被災の度合いが少ない地域から少しずつ町の機能や住宅地区が回復していくのかなと考えさせられました。
このまま、安渡地区からさらに西に向かい大槌中学校周辺に向います。
つづく
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2012.01.04 Wednesday
大槌町の安渡地区
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
おはようございます。
1月4日です。
もう初仕事になっている方もおおいのでしょうか。
今週3日休みになっている方は、その後の3連休もあり、かなり長い冬休みになりますね。
被災地のことを思うと、土曜日も、日曜日も続けて建築関係のお仕事に出られている方をみると、年末年始のお休みはみじかかったのではと思います。
さて、一昨日の大槌町の写真の続きです。
写真は年末のものですが、去年の夏頃にいった時の様子の記憶と比べながら、
今回の年末の町の様子をみてきました。
大槌町の中でも港町で、海に面している地域があります。
安渡、赤浜地区に向います。
私自身もなかなか行けない場所なので、多くの写真をとってきました。
安渡地区です。
以前よりも明らかに片付いています。
瓦礫の撤去がされています。
更地の奥には瓦礫の山がたくさんあります。
どこの被災地でも見られる光景です。
更地の中には、ガソリンスタンド、理容店、小売店などが営業を再開しているところもちらほらとみられます。瓦礫の撤去のあとは、使える建物は使い、ない場合はプレハブで営業されているところもあります。
三陸鉄道の下です。
写真右上のコンクリートの柱の上には、震災前には線路がありました。
津波は線路の上まできて、何もかもなぎ倒していきました。
さらに赤浜方面へ向います。
瓦礫で埋め尽くされていたこの地区もそうとうきれいになってきています。
このあとはきっと、建物が建っていくのだと思いますが、
この津波の経験をもとに町の復興計画がそれぞれの町で練られています。
いろいろな方の立場もあるので、なかなかきれいのまとまるものではありません。
そこが、行政をはじめ様々な方の苦しんでいる所だと思います。
いわば、町の復興の海の苦しみいったろころでしょうか。
震災復興についてだんだんと見えてきた事の一つに、地域によってというよりは、被災の度合いによって復興の震度が異なってきているように見えています。
大船渡市は町の南部が大きく被災したのですが、町自体の機能が北部の方へ移動し、南部の方へも町の再開発、新しい建築物も多くみられます。
人口3万人程度の町で町全体が被災しているパターンと一部が被災しているところとでは、
違いがみられます。
大槌町はまさに街全体が被災してしまった町です。
場所によってはまだまだ瓦礫や被災した車、これから取り壊されるだろうというものがまだあります。
大槌町の港を南に見て赤浜方面へ向います。
何か、作業されている人がいます。
下水関係の掃除でしょうか。
あらためて年末の震災の特集をテレビで見ると、地震がきて津波が到着する前の映像をみると、漁船で沖にでていく様子が写っています。
今のこっている写真のような船舶は沖で津波をやり過ごしたものなのでしょうか。
地震がきて津波が到着するまでの決断の早さと行動、船長の勇気と状況判断、今改めて感じ入るものがあります。
沖にあった多くの防波堤はとぎれとぎれになっています。
被災地の漁港でよくみられるものです。
再び建設するためには基礎から調査することになるのだと思います。
大変なことです。
建築関係の方からお話をきいたときには、今後3年、5年は仕事がなくなることはないだろうということを聞いたことがあります。
ここから沖に島が浮かんでいます。
テレビでひょっこりひょうたん島のモチーフとなった島です。
大槌の名所です。
このまま、赤浜方面へ向います。
もう少しおつきあいください。
つづく
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2012.01.02 Monday
大槌町へ
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜
こんばんは。
今年も震災復興ブログよろしくお願いします。
まだ、関東で正月気分の私ですが、なんだか正月ぼけをしています。
テレビをみたり、知り合いにあってゆっくりしたり、日本の正月を満喫しております。
さて、去年のブログの続きです。
写真は12月下旬のものなので、いくらか時差がでてしまいますが、せっかくとってきた写真なので、ご覧ください。
釜石市北部の町、鵜住居町から大槌町へ向います。
大槌町は港町で、津波の被害を大きく受けた地域です。
三陸地方の港町なため背には切り立った山々、海は湾が太平洋に大きく開いた形になっていて、港町を中心に津波が襲い、岩手県内では陸前高田と同程度の死者、行方不明者をだした地域です。さらに、火災や市役所はもちろんのこと、市長もなくなり、一時は孤立した状態になった大変な地域です。
鵜住居地域から大槌町へ向います。
トンネルを越えると大槌町です。
大槌町のショッピングモールのマストがあります。
この国道45号線沿いの商業施設も被災しました。
写真は12月中旬のもので、12月下旬には再オープンしたニュースをみています。
敷地内にはいってみます。
となりにあるホームセンーのホーマック。
こちらは営業を再開しています。
このように敷地内にはまだっ建築関係の機材がおいてあります。
海からは何キロかある場所ですが、近くに川があります。
津波は殿地域でも川をさかのぼって被害を与えています。
あたりの写真をとります。
場所を移動します。
マストをはなれて、安渡、赤浜地区を目指します。
この二つの地区は海に面しており、中でも非常に大きな被害を受けた地区です。
夏に一度きたことがありますが、その後どうなっているか様子を見に行きます。
以前来たときは、道路は舗装はされていなく、ぬかるみの中、車を進めた記憶があります。
主要な生活道路は、すでに舗装が完了しているようです。
仮設のお店や改装された建物が見られます。
どんどん進みます。
瓦礫がなくなり更地になっているところも、以前と比べて大きく異なっている点です。
理容店や美容院は早い段階で営業が再開されている様子がありましたが、
ここ大槌でもおなじでしょうか。他の業種と比べ
必要な機材が集まりやすかったのでしょうか。
電柱も張り巡らされ、インフラもどんどん工事が進んでいるようでした。
火災が起きたものについては、塗料が燃えてしまい金属がむき出しになるためか、
赤いさびが目立ち、火災にあったということがみてとれます。
また、まだ現在取り壊しているという建物もあります。
一度は残したものの強度的に結局だめだったということで取り壊されるものも多くみられます。
大槌町立図書館です。
レンガ作りの重厚な建物はどの地区でもよく残っています。
ただ、中はたいへんなダメージを受けています。
津波で地形が変わってしまい、場所によっては土地にくぼみができてしまい、水がたまってしまっている場所もあります。
ボランティアの方はこのような地で衛生状況の悪化や蚊などの繁殖を押さえるために、
土砂でつまってしまった下水道を人海戦術で泥等を出して、整備している様子を以前はよく目にしました。
安渡地区はもう少しさきです。
上の写真のように一回部分は被害をうけて2、3階部分は生き残っている建物はよく目にします。
橋を渡ります。
この橋の上を津波が来たようです。
きれいに水の流れが想像できるように現在もその被災の様子が見られます。
安渡、赤浜地区はすぐそこです。
大槌町の様子はまだ続きます。
こんばんは。
今年も震災復興ブログよろしくお願いします。
まだ、関東で正月気分の私ですが、なんだか正月ぼけをしています。
テレビをみたり、知り合いにあってゆっくりしたり、日本の正月を満喫しております。
さて、去年のブログの続きです。
写真は12月下旬のものなので、いくらか時差がでてしまいますが、せっかくとってきた写真なので、ご覧ください。
釜石市北部の町、鵜住居町から大槌町へ向います。
大槌町は港町で、津波の被害を大きく受けた地域です。
三陸地方の港町なため背には切り立った山々、海は湾が太平洋に大きく開いた形になっていて、港町を中心に津波が襲い、岩手県内では陸前高田と同程度の死者、行方不明者をだした地域です。さらに、火災や市役所はもちろんのこと、市長もなくなり、一時は孤立した状態になった大変な地域です。
鵜住居地域から大槌町へ向います。
トンネルを越えると大槌町です。
大槌町のショッピングモールのマストがあります。
この国道45号線沿いの商業施設も被災しました。
写真は12月中旬のもので、12月下旬には再オープンしたニュースをみています。
敷地内にはいってみます。
となりにあるホームセンーのホーマック。
こちらは営業を再開しています。
このように敷地内にはまだっ建築関係の機材がおいてあります。
海からは何キロかある場所ですが、近くに川があります。
津波は殿地域でも川をさかのぼって被害を与えています。
あたりの写真をとります。
場所を移動します。
マストをはなれて、安渡、赤浜地区を目指します。
この二つの地区は海に面しており、中でも非常に大きな被害を受けた地区です。
夏に一度きたことがありますが、その後どうなっているか様子を見に行きます。
以前来たときは、道路は舗装はされていなく、ぬかるみの中、車を進めた記憶があります。
主要な生活道路は、すでに舗装が完了しているようです。
仮設のお店や改装された建物が見られます。
どんどん進みます。
瓦礫がなくなり更地になっているところも、以前と比べて大きく異なっている点です。
理容店や美容院は早い段階で営業が再開されている様子がありましたが、
ここ大槌でもおなじでしょうか。他の業種と比べ
必要な機材が集まりやすかったのでしょうか。
電柱も張り巡らされ、インフラもどんどん工事が進んでいるようでした。
火災が起きたものについては、塗料が燃えてしまい金属がむき出しになるためか、
赤いさびが目立ち、火災にあったということがみてとれます。
また、まだ現在取り壊しているという建物もあります。
一度は残したものの強度的に結局だめだったということで取り壊されるものも多くみられます。
大槌町立図書館です。
レンガ作りの重厚な建物はどの地区でもよく残っています。
ただ、中はたいへんなダメージを受けています。
津波で地形が変わってしまい、場所によっては土地にくぼみができてしまい、水がたまってしまっている場所もあります。
ボランティアの方はこのような地で衛生状況の悪化や蚊などの繁殖を押さえるために、
土砂でつまってしまった下水道を人海戦術で泥等を出して、整備している様子を以前はよく目にしました。
安渡地区はもう少しさきです。
上の写真のように一回部分は被害をうけて2、3階部分は生き残っている建物はよく目にします。
橋を渡ります。
この橋の上を津波が来たようです。
きれいに水の流れが想像できるように現在もその被災の様子が見られます。
安渡、赤浜地区はすぐそこです。
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2011.06.07 Tuesday
大槌町の様子
こんばんは。
今日もだんだんと薄暗くなってきました。
すこし涼しいくらいの夕涼みです。
海岸部をのぞけば、震災後も、何も変化はないです。
アパートの隣の方も被災者で家を津波に破壊されてしまいました。建築関係のお仕事をなさっているそうですが、話をきいていると、前向きな口調で「これから、家をたてる場所を決めて、ぜにっこためてまたたてるべ」とおっしゃっていました。
1からの再スタートなので、話を聞くことができませんが、あちらこちらで、いろいろな地域情報や人々の声が聞こえてきます。
さて、今日は、昨日の釜石に続いて、その北の地域、大槌町です。
ここは、10年以上も前になりますが、はたらいていた地域です。
そして、今回の震災で、非常に大きな被害を受けた地域でもあります。
津波に火災が発生したところもあり、他の町と比べると、まだまだ厳しい環境にあります。
海に近い安度、赤浜地区はほとんどが全壊。
未だに、瓦礫が片付けられていないところが多いです。
ここは安渡地区。
ここに昔住んでいました。教員住宅があった場所です。
安渡地区の教員住宅の隣には、南三陸鉄道が走っていて、線路や橋桁があるはずと思ってさがしたのですが、その橋の一部や線路もあたりいったいに瓦礫となっていました。
あたりを歩いてみたのですが、詳しくどこにたっていたかわからないくらい、瓦礫があって、
復興というにはまだまだ時間がかかる様子です。
中央にあるのは、魚です。
においもこういった海産物からでているのでしょう。
まだまだ、生活に関わる物があたりにちらばっています。
50mほどはなれたところに川があるので、そこまで移動します。
橋桁の上には線路がなくなっていました。
手前の防波堤のコンクリートは姿を残して残っていますが、そこら中に傷がついていて、
津波で流れてきたものが一面にぶつかったあとが残っています。
安渡地区を抜けて赤浜地区へ向かいます。
山の方でも火事が起こったようで、至る所に杉林が燃えたあとがあります。
近くに警察の大きなバスが何台もありました。
近くを通ったときは、警察官が3列縦隊になって瓦礫に向かっているところでした。
手には懐中電灯などの道具をもっていました。
赤浜地区の被災者捜索を、震災後2ヶ月以上たった今も進めているようです。
大槌の被害の大きさを物語っています。
赤浜地区には、一つ有名な島があります。
ひょっこりひょうたん島のモチーフになった島があるのです。
赤浜地区から沖を見ます。
ありました!!
島です。しかも、松や建物が残った状態です。
これだけの被害をうけても、島は残っています!!!
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今日もだんだんと薄暗くなってきました。
すこし涼しいくらいの夕涼みです。
海岸部をのぞけば、震災後も、何も変化はないです。
アパートの隣の方も被災者で家を津波に破壊されてしまいました。建築関係のお仕事をなさっているそうですが、話をきいていると、前向きな口調で「これから、家をたてる場所を決めて、ぜにっこためてまたたてるべ」とおっしゃっていました。
1からの再スタートなので、話を聞くことができませんが、あちらこちらで、いろいろな地域情報や人々の声が聞こえてきます。
さて、今日は、昨日の釜石に続いて、その北の地域、大槌町です。
ここは、10年以上も前になりますが、はたらいていた地域です。
そして、今回の震災で、非常に大きな被害を受けた地域でもあります。
津波に火災が発生したところもあり、他の町と比べると、まだまだ厳しい環境にあります。
海に近い安度、赤浜地区はほとんどが全壊。
未だに、瓦礫が片付けられていないところが多いです。
ここは安渡地区。
ここに昔住んでいました。教員住宅があった場所です。
安渡地区の教員住宅の隣には、南三陸鉄道が走っていて、線路や橋桁があるはずと思ってさがしたのですが、その橋の一部や線路もあたりいったいに瓦礫となっていました。
あたりを歩いてみたのですが、詳しくどこにたっていたかわからないくらい、瓦礫があって、
復興というにはまだまだ時間がかかる様子です。
中央にあるのは、魚です。
においもこういった海産物からでているのでしょう。
まだまだ、生活に関わる物があたりにちらばっています。
50mほどはなれたところに川があるので、そこまで移動します。
橋桁の上には線路がなくなっていました。
手前の防波堤のコンクリートは姿を残して残っていますが、そこら中に傷がついていて、
津波で流れてきたものが一面にぶつかったあとが残っています。
安渡地区を抜けて赤浜地区へ向かいます。
山の方でも火事が起こったようで、至る所に杉林が燃えたあとがあります。
近くに警察の大きなバスが何台もありました。
近くを通ったときは、警察官が3列縦隊になって瓦礫に向かっているところでした。
手には懐中電灯などの道具をもっていました。
赤浜地区の被災者捜索を、震災後2ヶ月以上たった今も進めているようです。
大槌の被害の大きさを物語っています。
赤浜地区には、一つ有名な島があります。
ひょっこりひょうたん島のモチーフになった島があるのです。
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