気仙沼方言でおもてなし
今日は、陸前高田から気仙沼方面の途中にあるコンビニのおもてなしの言葉をご紹介します。
ガラスに「手作りおにぎり・かつサンド販売中だっちゃ」の文字・・・
おそらく気仙沼の方言だと思います。
「販売中です」という意味だと思うのですが、大船渡だったらなんて表現するかな・・・
「販売しってっから」でしょうか???
気仙沼の方言も三陸・大船渡、陸前高田と似たような表現があり「ケセン語」圏とされているとか。
気仙沼の友達は、会話の最後に「○○だっちゃ」と言うことが多いので
大船渡に住んでいる友達から「ラムちゃんかっ!!(うる星やつらの登場人物)」と、からかわれています。
年末年始、こちらに帰省していらっしゃる方も多くなるかと思います。
街中にあふれる「ケセン語」で故郷を懐かしんでもらえたらと思います。
オラの周りの気仙語講座39
「こっちさ くっとぎ 車たいした混むべがら 気ぃつけで来しゃっせん」
(こちらに来るとき 車渋滞しているでしょうから 気をつけていらしてください)
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気仙沼大川さくらまつり
こんばんは!
今日の大船渡は天候もよく室内では長袖Tシャツ1枚でも過ごせる陽気でした。
が、外にでると風が冷たくジャンパーなど羽織るものがないと肌寒く感じられました。
さて、今日は気仙沼大川付近の情報をお伝えします。
今月22日〜29日 「復活!気仙沼大川さくらまつり」 が開催されるそうです。
震災では、桜並木の背丈を超える津波が襲ったそうですが、生き残った桜の木は、花を咲かせていたそうです。
復活したお祭りですが、この地区はかさ上げ対象の地域のため、
もしかすると最後の「大川さくらまつり」になるかもしれないそうです。
4月15日の気仙沼大川の様子です。
↓ 同じ位置から、正面の写真
↓ この場所は、残った桜の木が少ないですね・・・
↓ 上の写真を撮った同じ位置から
↓ また、同じ位置で180°方向を変えると、すぐそばに学校がありました。今は瓦礫置き場になっているようです。
岩手でも被災して使用できなくなった学校の校庭がこのように利用されています。
子どもたちの思い出がたくさんつまった校舎や校庭が、このように利用されるのを見るのは、なんとも言えない気持ちになります。
写真を撮ることもかなり迷いましたが、
窓に貼られた 「ありがとう、笑顔になる、魔法の言葉」を見てシャッターを押したくなりました。
この桜の木の下で、この学校の子供たちもお花見をしたりしていたのでしょうか・・・。
気丈な桜の木々にパワーをもらいました。
大川さくらまつり、たくさんの観光客で賑わうといいですね・・・
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2ヶ月前の気仙沼の様子
おはようございます。
関東の方は、暖かくなって春を感じられる気温になってきています。
街の桜も満開です。
それから春と言えば、タケノコ。
そのタケノコはまだ、竹の林からは出てきていないようです。
やはり今年の冬は寒かったのでしょう。
さて、今日の写真は、宮城県気仙沼市の様子です。
2ヶ月前にとった写真です。
南三陸町を訪れた日の帰り道。
気仙沼市によってみました。
気仙沼市といっても隣が南三陸町となっていて、平成の大合併で広い市になっています。
ここは気仙沼市の南部で、川の橋が流されてしまっていた場所です。
国道45号線です。
無事渡り終え気仙沼中心街に進みます。
本吉町周辺です。
本吉町中心地は海からはなれているため、今回の震災では大きな被害はありませんでした。
再び海沿いをはしる道になり、海がみられます。
あたりは被災地となっています。
大船渡まで54km三陸地方は本当に広大です。
大谷海岸にやってきました。
この海岸は風光明媚な砂浜があり夏は海水浴場で多くの人が訪れる場所です。
この大谷海岸も大きな被害を受けて現在は土のうで仮設の防潮堤が作られています。
さらに気仙沼市中心街をめざし、北へ向います。
国道あたりは土地が低いため被災地となっています。
海沿いに仮設のお店がありました。
被災してしまっている建物もあたりに見られます。
国道をさらに北上していくと、瓦礫の集積所、処理場らしきものがありました。
この瓦礫の処理も、国内で様々な問題となっています。
放射性物質が全くないかといったら、すこしは入っていると思いますし、
なにかの間違えで線量が高いものももしかしたらでてしまうかもしれません。
おおくのものを処理する中でたった一つ間違えが会った時点で大きな問題になるということで、各地方自治体は受け入れを慎重に考えられているのだと思います。
三陸地方の街でよくみるチェーン店のラーメン店です。
さらに進みます。
パチンコ店です。
地域の方の娯楽施設となっています。
あたりの風景の写真を次々と載せていきます。
ジャスコ気仙沼店に到着です。
ジャスコを通り過ぎ街の中へ入っていきます。
気仙沼は漁師町。
古い昭和時代の建物や新しいものなどが各所にまざっています。
気仙沼駅に到着しました。
大きな魚、例えばカジキやマグロ、サメなどの大型船の基地となっています。
サメです。
フカヒレで有名な気仙沼らしいモニュメントです。
写真の大船渡線はまだまだ復旧の見通しはたっていません。
大船渡からでている三陸鉄道はこれから2年をめどに再開していくそうですが、
大船渡線は今後、どうなっていくのでしょうか。
気仙沼市はこうやって街をまわってみると、岩手県や宮城県の沿岸では、指折りの大きな街です。陸前高田や石巻、釜石等が震災で大きな被害を受けている中では、大船渡と同じく街の半分が被災していますが、難を免れた地域も多いように思います。
気仙沼の町並みです。
この街はいろいろな顔があるように見えました。
港のほうへ近づいてみると、被災地になっていて瓦礫がまだ片付けられていない地域があります。
気仙沼の屋台村です。
震災後早い段階で立ち上がった集合商業施設です。
日が暮れてきました。
気仙沼の港です。
上の写真は一階部分が倒壊して二階部分のみが残っている状態になっています。
時代を思わせる建物ですが、被災してしまっています。
夕暮れ時の気仙沼港です。
震災前は歩いて港町の良さを感じられた地域だったにちがいありません。
街の中の写真を載せていきます。
まだこのように更地になったところの流された船舶がありました。
気仙沼の被災の様子を象徴する流された大型船があります。
国道45号線にでました。
さらに北へ向い、大船渡を目指します。
陸前高田に到着。
気仙大橋を渡ります。
無事、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸町の街なみをみてまわることができました。
今日は少々長かったですが、今までとりためていた写真をたくさんのせてみました。
以上、気仙沼の様子(2012年1月)でした。
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気仙沼市内3
おはようございます。
今週は少しずつ暖かい日和が続いています。
先週つもった雪もだんだととけはじめ、今日の夕方にはほとんど路上には雪がなくなりました。
天気予報ではまた今週末に寒気が日本上空にやってくるようで、雪にたいして再び警戒が必要です。
三陸町崎浜にすんでいて一昨日は穏やかな海をながめていると小型の漁船が横一列になって沖に浮かんでいます。なんだろうとよく見てみると筏が近くにたくさんならんでいて、ワカメの筏でなにか多数の方がさぎょうされているのかなと思いました。
近頃は、スーパーでは鱈やワカメがよく売られています。鱈はスケソウダラとマダラの2種類。スケソウダラはタラコのもと。マダラは鱈の白身、白子があり鍋の具材になります。
一方ワカメは、この時期のものはまだ育ちきっていない若いものなので、身振りは小さいですが肉厚で柔らかさを楽しむ事ができます。この時期のワカメはおすすめです。
さてさて、今日の写真ですが、前回の気仙沼のものの続きです。
魚市場あたりからさらに移動します。
気仙沼市は岩手県の沿岸の町と比べてやはり大きいです。
ショッピングモールも規模の大きいものもあります。
イオンが一番大きなものなのではないでしょうか。
ところどころ、このようなまだ被災してまもないような高知で残っている建物がみられます。
大船渡や三陸町など毎日みている風景と比べ、大きな差はないのだと思いますが、
場所をかえて異なった地区で被災の様子をみてみると、今までの慣れがなくなった状態になり、震災の凄まじさを感じます。
冬の三陸地方ですが、空が青いです。
町がきれいに片付いてきて、今後どのようになってくるか、それぞれの地域で大事な局面を迎えているそうです。
気仙沼市は、大船渡市と同様に町の中心地がごそっと被災していないので
やはり、陸前高田市とか大槌町などとくらべると復興は早くすすんでいくものだと思います。
被災地を車でまわっていると、私と同様にカメラやビデオカメラを片手に写真をとっている方をよく目にします。昔と違ってデジタルデータなのでその使い方や生かし方はいろいろな方法があると思います。過去のもの、現在のもの、この先未来でとられるもの、写真を集めて復興の様子がながめられると、町の人々活気にもつながるのではないかなと思います。
こちらの写真は海から少しはなれて震災の影響があまり見られない地区です。
もう少し、あたりの写真を載せておきます。
国道45号線に出ました。
途中、書店によりました。
大船渡もそうなんですが、震災関連の記録写真集等が平積みにされて目立つところに置かれています。大船渡市の書店には大船渡市内を特集したもの、気仙沼市の書店には気仙沼市を特集したものと、地域限定で町の様子が克明に記録されているものが目立ちます。
さまざまな記録写真集が地域にはうられています。
さて、車はさらに南に移動し、気仙沼市から本吉町、それから南三陸町を目指します。
私にとっては南三陸町は震災後初めて訪れる地です。
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気仙沼市内の続き
おはようございます。
昨日、今日と三陸地方は幾分寒さも和らいでいます。
ただ、つもった雪が溶けてなくなるといったほどではありません。
工事関係の業者の方、道路関係、建物などなど、他県からいらっしゃって、お仕事をされている方もよく目にしたり、三陸町崎浜地区の大学生用アパートに住み込んでおられる方がいます。
北日本の寒さをしっていそうな新潟や北海道の車のナンバーがあったり、また、そうでない九州あたりのナンバーを見たりします。昨日も風の強い一日でした。外で作業にあたられている方には、本当にご苦労さまといいたいです。
週末なのですが、私はどうも外へ出る気があまりしません。
もちろん、寒いし、雪で路面状態が良くないというのもあるのですが、
インフルエンザのことをかんがえると、今はあまり人があるあつまるところには
いきたくないな〜と考えてしまいます。
ニュースを見ていると、個人がしっかり警戒しないといけないレベルまで蔓延しているそうです。ワクチンを摂取した人でも甘くみないでと呼びかけていました。
大船渡市内の小学校でも学級閉鎖、学年閉鎖、学校閉鎖が発生しています。
家族の一人が外から持ち帰ってしまうと大変な事になってしまいます。
さてさて。今日の写真は、一回前の気仙沼市内の写真の続きです。
津波が発生したとき、気仙沼市内の大きな船舶が市街地に流されてきて、建物をなぎ倒していったというものがまだ街に残っていたという場所からさらに街の港などがある奥にはいっていきます。
瓦礫となった建物たちはなくなり更地になっています。
都市部の他の被災地とかわりがない観があります。
大型の船舶だけでなく中型のものも近くにはありました。
この先に港がありおそらく同じように様々な船舶が街に津波と一緒にながれたのではないかと考えられます。
さらに進みます。
まだまだ、傷んだ家屋の取壊し作業が続けられています。
水の流れに純木造の建物は本当に弱かったです。
水に沈むと、木材の軽さから浮力が発生し水の流れで簡単に基礎からはなれて引き波、押し並みで持っていかれてしまいます。
震災で運良く生き残った家屋をみてみると、大船渡市内の赤崎町内のものでは、2階建ての瓦作りのもので瓦の重さが木材の浮力を打ち消したようにもみられます。それからもう一つ重要な点は、塀です。水の流れを遮る塀で囲まれていました。こういった要素が家が海から何十メートルという近さと低さにあっても運良く流されないで生き残った原因ではないかと考えられます。
気仙沼市内の港に入ってきました。
気仙沼市は大きな港のある漁業の街です。
当然、漁船が多く停泊できる街の作りになっていて、震災当時もおそらくたくさんの船舶があったのだと思います。
さきほどの家に塀があったから、流されなかったのではというお話ですが、
巨大な船舶が波と一緒になだれ込んできたら、生き残る事は不可能でしょう。
また、震災時、大船渡市大船渡町の港では多量の木材が港付近にあったそうです。
それが、津波ともに街に入ってきたそうです。木材といっても巨大な丸太だったそうで、
一本のその丸太でいとも簡単に家屋が押しつぶされていったそうです。
この先、街の復興や建物を建てる際、被災している地域に建物は建っていくと思いますが、
都市部では津波が街に侵入しないという防潮堤、さらにそれが破られても、そのときの海に浮いている巨大なものが街の中に入ってこない構造の港を作ることも大事なんだと思います。
日本でも指折りの防潮堤を備えていた釜石市中心地でさえ、今回の津波は破られてしまい、甚大な被害を被っているので、2重、3重の津波対策が練られる必要があると思います。
大島行きのフェルー乗り場です。
震災直後は大島の島民は孤立したそうです。
港にある船舶は街の中に流されてしまっているので、当然、物資や人を運ぶ乗り物は皆無だったと思います。
島での防災対策はまた異なるものになるのではないかなと思います。
すくなくとも孤立しても3日間は困らない燃料と食料、水を備蓄しておくことが大事なのでしょうね。
大船渡周辺に人が住んでいる島はないので、あまり具体的な話を聞いた事がありませんが、
そのようなことが予想されます。
港周辺を車でまわってみましたが、地盤沈下は多少あるとはいえ、海水が道路に入ってくるというような事態はありませんでした。
釜石や気仙沼の様子をみてみると、その間にある大船渡市の地盤沈下は著しく、時には何十センチも海水が街の中にあふれてしまっている状態になっています。
近頃、次々と各地でオープンされている屋台村です。
流されてしまった飲食店が仮設の店舗で営業を開始しています。
各地には人気のあったお店はもちろんあり、その復活は人々に活気をもたらすにちがいありません。外から街を訪れた方には、食事をどこですまそうかと考えたとき、これほど簡単な目的地はありません。
屋台村の中には駐車場付きで様々な飲食店が入っています。
屋台村をすぎて、さらに進みます。
津波に対する防災の看板です。
かなり古そうです。
気仙沼の町も今まで多くの津波とその対策をしてきたことが伺えます。
高台を越え、再び街が続いている場所を走っていきます。
気仙沼という街は、港町ということもあって、歴史が古そうで、
新しく再開発されている場所と昭和を思わせる建物が並んでいる地域と様々な顔が見られます。
こちらは魚市場周辺です。
こちらの街や通りの様子は震災後よく報道された地区です。
まだ、アスファルトはなく砂利道です。
レンタカーを借りて被災地をまわるとき、レンタガー会社からもパンク等のトラブルは気をつけてくださいと注意がありますが、まさにこのような瓦礫が片付けられたあとも道には何が落ちているかわからない状態なので、いろいろな車のトラブルはあるのだと思います。
魚市場前まで来ました。
魚市場をテーマに大きな観光用の大きな建物があります。
ローソンももちろんあります。
近頃はコンビニさえあれば、様々な生活に必要な買い物にだけでなく、支払い現金の引き落とし、通信など様々なことが可能で、車で街まで何十キロと移動して支払いにいかなければいけなかった時代とは大違いです。
魚市場周辺には様々な食品関係の業者、飲食店が軒を連ねています。
震災前まではきっと活気があったのだろうと思います。
様々な港周辺の様子が見られました。
魚市場です。
少し離れた場所から。
建築中の建物。
これから、震災後一年経過し、建築のラッシュがつづくのだと思います。
まだまだ傷んだ家屋がまだそのままという場所も数多くみられます。
書店でしょうか。
もちろん、被災後営業はされていません。
また、大船渡からはなれて、客観的にみてみると、
木造住宅の建物の強い弱い、高台だけではなく港等の建物の位置関係、いろいろな要素が絡んで津波の被害がみてとれます。
町の復興計画は様々なところで話し合われて進められているところだと思いますが、
今後のことを考えると2重3重も備えをしていかなければまた同じ被害がでてしまうのではと思いました。
津波を完全に遮る事だけをかんがえるのではなく、被害を最小限におさえるという考え方も必要なのではないかと思います。
さて、気仙沼の写真はまだ続きます。
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宮城県、気仙沼
おはようございます。
連日、三陸地方は雪が降っています。
あたりは真っ白です。
岩手県内陸地方と違って近頃は昼間、雪が少しずつとけはじめ、夕方以降にはとけたものが再び凍ります。
朝の道路状況は大変なものです。
場所によってはつるつるに滑ってしまうところもあることでしょう。
車のアンチロックブレーキシステムが「ガッ」と聞くときにちょっとびっくりしてしまいます。
今日も安全運転で通勤したいと思います。
さて、今日の写真は、宮城県、気仙沼のものです。
震災後、私自身一度もこの街には訪れたことがありませんでした。
震災直後は、陸前高田市の気仙大橋がなかったため行きにくかったのかもしれませんが、
今回初めて行く事にしました。
まずは、国道45号線から大船渡市から陸前高田市へ。
陸前高田市の風景です。
あちらこちらに、津波の被害がさほど大きくなかったところに、営業を再開したお店が並びます。
高田市の海近くにある大きな建物です。
5階建てですが、4階まで被災しています。
これはこのあと、取り壊していくのでしょうか。
国道45号線の陸前高田市の海に近いところの風景です。
左側の土のうを越えるともう海に面しているところもあります。
陸前高田市内ととおって気仙沼に向います。
気仙町付近です。
陸前高田市気仙町の長部地区付近です。
山がせり出していて複雑な地形になっていますが、土地の低いところは例外なく津波が入ったあとが見て取れます。
この辺りが岩手県沿岸の最南端です。
ローソンは沿岸各地にある便利なコンビニになっています。
気仙沼市郊外に入ってきました。
気仙沼市の国道45号線沿いは高いところにあるので被災の様子は見られませんでしたが、
海に面している漁村は被害を受けています。
気仙沼中心部に入ってきました。
左にはいって町の中に入っていきます。
気仙沼市は国道45号線から町に入ったところから津波の被害が見え始めました。
岩手県の各町にある風景とよく似ています。
火事が起こったようです。
黒く鉄筋に色がついています。
まだまだ、片付け、取壊しは遅れているような観があります。
そして、目に入ったのは、この大きな船舶。
海までまだ距離があると思うのですが、このようなところにまだ置いてあります。
この船舶は、TVでもよく扱われていると思いますが、まだ残っています。
この先、まだまだ、気仙沼の市街の写真を載せていきます。
つづきます。
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